2015年3月29日日曜日

開花です

家の前のサクラは去年と同じ今日3月29日に開花しました。

昨日はまだ開いている花を見つけることは出来ませんでしたが、今日はかなり開いていました。

これから2分咲き、5分咲き、8分咲きそして満開へと毎日変わるその美しさを眺められるのは素晴らしいことです。

サクラの名所のみならず、町から村まで日本全国今も増え続けているサクラですが、燃料用に伐採された悲惨な時代を乗り越えて良くここまでになったものです。

サクラ前線という言葉(造語)がありますが、南から北へとサクラの開花予想を表した情緒溢れる言葉です。
でも、近年温暖化の影響でしょうか、徐々に北上するというよりも同時期に九州から関東までワアーと開花しているような気もします。

時期の変化はともかく、今年も桜吹雪になるまで、しばしの間サクラと共に毎日を過ごせる一番いい時期が始まるのです。

2015年3月27日金曜日

サンハトヤの海底温泉

孫の発熱で急遽1泊だけで帰ってきました。

TVのCMが余程気になっていたらしい伊東温泉のホテルサンハトヤの海底温泉を目的に、昨日春休みになった孫と4人でVOXYで伊東温泉まで出かけたのです。
Googleの画像から

前日夜から少しカゼ気味になったようですが、本人元気だし大丈夫ということで東京から伊東温泉まで来たのですが....

♪伊東に行くならハトヤに決めた!♪♪ しばらく口ずさんでいたようで、海底温泉の様子にも興味があって大分前から行くことになっていました。

海底温泉は海底1000mから自噴する温泉だそうですが、温泉に大きな水槽がくっついているような造りになっていました。

真鯛、シマアジ、クロダイ等沢山のお魚が泳ぎ、大ウミガメもガラス一枚でお腹の甲羅に手で触れるように見える子供達には興味尽きない温泉です。

海底温泉も気に入り、部屋からは相模湾が眺められるこのサンハトヤにもう一泊の予定でしたが、今朝は熱が出て元気なく急遽一泊はキャンセルして、東京でかかりつけの小児科へ直行となりました。

幸いインフルエンザではないようで2,3日すれば回復するとは思いますが、出かける前日ママの言う事もきかずに半袖一枚で遊んでいた結果のカゼひきで、この年齢の子供を無事に育て上げるのは何時の時代も大変なようです。

2015年3月23日月曜日

サクラ

去年は3月29日に開花が確認出来た前の公園のサクラでした。

このところ続く暖かさで、開花宣言が出されたところも多く、ここの公園のサクラはどうかな?と見てみました。

今にも開きそうな蕾も増えていて、今年はあと2,3日で咲いてくれそうな状態です。

ここへ住み始めた2002年当時はまだ小さかったサクラの木ですが、あれから13年今では大きな木に成長し、部屋から見るとリビング一杯に拡がっています。

そしてこの時期、何時も通るご近所の方々の犬の散歩だけでなく、コースを変更してやってくる人も多くなります。

枯れたヒマラヤスギが撤去され、この公園に5本あるソメイヨシノが伸び伸びと枝を拡げた今年は例年にも増してサクラをきれいに愛でられる年になりそうです。

2015年3月21日土曜日

お彼岸

今月はお彼岸の墓参りもパスさせてもらいました。

足の骨折ではないので、歩くことも出来ますが、出来ればまだ大人しくしていた方がいいと思いwifeの方の墓参りもパスしています。

春のお彼岸の墓参りは、亡き母の誕生日が3月25日なのでなんとなく日にちも近く命日ではないものの、気持ち的にはよりお墓参りの意義がありそうに思われるのです。

出来ればお彼岸の墓参りは行っても良かったのですが、この骨折で一気にガタが来たように感じ少し元気喪失感のある日々を過ごしています。

まあ骨折が完治して、いろいろ動けるようになればサクラの開花と共に元気も盛り返してくると思っています。

2015年3月19日木曜日

肋骨はまだくっついてません

肋骨はまだくっついてません。

志賀高原での転倒骨折から3週間目になる今日19日(木)、佐倉整形外科病院へ初めて一人で運転して行ってきました。

毎回、整形外科にお世話になる人達がこんなにもいることに驚かされます。
自分を含め高齢者はもちろん若い人達も来ています。

待つこと90分、胸のレントゲン画像を見せられましたが、確かに折れた部分がまだはっきりと分かる画像でした。

若ければくっつくのかも知れませんが、やはり3週間では無理なのでしょう。

肋骨が折れていると思うと、自然と行動も制約されて何の家事もせずおとなしくしている生活が続きますが、だんだん春めいて来ると動けないのは辛くもなってきます。

4月にはリハビリ兼ねたストレッチが出来るようになっていることを心待ちにしています。

2015年3月17日火曜日

世界女子カーリング

じっとTVでスポーツ観戦の毎日です。

骨折もまだ治らないのに、ここ一週間は、右足の坐骨神経痛がひどかったため、痛み止めを服薬しながら、ただひたすらおとなしくせざるを得ない毎日でした。

今日は、ようやく神経痛の痛みも無くなり、春本番を感じさせる素晴らしい陽気でしたが、引き続き部屋でテニスとカーリングのTV観戦をしていました。

今、テニスは錦織圭が出場しているATPマスターズ1000がカリフォルニアで行われていて、グランドスラムに次ぐ大きな大会なのでNHKもBSで毎日放送してくれています。

この観戦も楽しみですが、今札幌で開催されている世界女子カーリングが、これも毎日NHKのBSで放送されています。

今までは集中して観戦することも無かったのですが、以前からカーリングに興味を持って何時も観戦しているwifeにルールを教えてもらい見始めたらこれが殊の外面白いのです。

氷上のチェスと言うそうですが、ストーンを投げる技術もさることながら先を読んでの駆け引きが
見せ場をつくってくれます。

日本は先ほど終わったロシアとの試合に負けて4勝3敗となり4か国で行われる決勝リーグに残れるかどうか微妙な成績になってきました。

まだしばらく、静かにしてなければならないのでTVスポーツ観戦が続きそうな毎日です。


2015年3月13日金曜日

ニンニク

寒さを乗り切りニンニクは順調に大きくなっています。

茎もしっかりしてきて、そろそろ茎の下に大きなニンニクが育っているような錯覚をするぐらいです。

収穫はまだまだ先のことですが、写真のようなのが収穫出来たら素晴らしいでしょうね。
ニンニクの育て方によれば、5月には花蕾づみをしなくてはならないようですが忘れずにやるようにしたいと思っています。

青森産に負けない立派なニンニクが出来る日を楽しみにしています。

2015年3月12日木曜日

クリスマスローズ満開

クリスマスローズが満開です

秋に北側の遮光ネットの下から南側へ移動してきた鉢植えのクリスマスローズは、今どの鉢も競い合うように見事に花を咲かせています。

同じ種類もあるのでしょうが、wifeによれば、それぞれ花の名前が違うようで、ある花はダブルだったりセミダブルだったり、シングルだったり、又それぞれに微妙な違いもあるようです。

毎年1,2鉢は新種が仲間入りをしていて増え続けています。

違いは分かりませんが、うつむき加減のこの花は今の時期とても貴重です。


地植えのは夏の日差しで葉が傷み、この冬は成績があまり良くありません。

この先、今まで通りの面倒を見るのは大変なことだと認識し始めているので、少しづつ減るのかも知れませんが、自分に出来る事で少しでも応援しようと思っているクリススマスローズです。




2015年3月11日水曜日

骨折その後

玄関には義姉がくれたサンダーソニアが飾られて春がもうそこまで来ていることを感じさせてくれています。

顔の腫れが引き、かさぶたもとれてようやく普通の顔に戻ってきましたが、春目の前のこの時期ですが毎日家の中でおとなしく骨折療養しています。
胸部分はソフトコルセットで巻いてるので多少の圧迫感はありますが、痛みも減って椅子からの立ち上がりやベッドでの寝起きも随分楽になってきました。

骨折の経験は、2004年6月に植木仕事中の転倒で右足首の骨折以来2度目ですが、前回は松葉づえ無しには歩行出来なかったので大変不便な生活を強いられました。
でも今回はそのような不便さはないので助かります。

造園科のスキー仲間からは、引退を思いとどまって欲しいと再三メールが来てましたが、覚悟が変わらないことをようやく分かってくれたようです。

明日で骨折から丁度2週間になります。
骨がまだくっついたとは思いませんが、来週整形外科で再診があるので少なくとも「順調な経過です」とコメントが欲しいところです。

2015年3月10日火曜日

スキーの思い出

スキー引退を決めたばかりだからか、過去のスキーの思い出が走馬燈のように頭の中を巡っています。

友人S氏が所属していた東京都スキー連盟傘下の「ときスキークラブ」という発足間もないクラブが主催する福島の高湯スキー場でのスキースクールに参加したのがスキーを始めたきっかけでした。

月山でのスキー
その後直ぐこのクラブに入れてもらい、ほとんど毎週ぐらいにこのクラブが活動場所にしていた上越の石打後楽園というスキー場(今の舞子スノーリゾート)に行ってクラブの指導員や上級者から教えてもらっていました。

5月の連休、当時リフトもない月山へ登っての山スキーも、6月に谷川岳マチガ沢の雪渓でのスキーも、若かったから出来たようなスキーも随分経験しました。

V社の仲間と蔵王で
蔵王でのバッチテストで憧れの白いバッチをもらえたこと、クラブ主催のスキースクールで初心者クラスの先生をしたこと.....等 限りない思い出があとからあとから湧き出てきます。

アメリカでは、当時駐在していた人達とバーモント州とカナダの国境沿いにあったKillingtonまで行って極寒のスキーもしました。

wifeと滑ったスキーも数多く、新婚旅行で行った北海道ニセコでのスキーも忘れられない思い出です。
スキー宅急便が無かったあの頃、スキーを倶知安の駅留めで送ってのスキーでした。

冬は何時も真黒な顔で上司からは「又スキー休暇か!」と叱られながらも冬に全ての有給休暇を取得していた時期もありました。 これも若かった頃の貴重な思い出です。

転倒の記憶も数知れず、急斜面を10数メートル転げ落ちた事は何度もありますが、幸いケガは一度も無かったのに、その分最後大ケガでの引退となりました。

仲人をしてくれた今は亡きクラブの指導員はじめ、何時もいいスキー先輩や仲間に恵まれたスキーをしてきましたが、自分にとっては単なるスポーツを超えた人生と重なる部分もあるような気もします。

スキー引退宣言したからか、感傷的な思い出になってますが、あの白銀の世界と共にあるスキーの思い出は、これからも元気の元になってくれる事でしょう。

2015年3月6日金曜日

脳異常なしでした

脳に障害の形跡はありませんでした。

wifeに運転してもらって、紹介された日本医大千葉北総病院の脳神経外科へ行って来ました。
医師曰く、「転倒した時のショックで転倒前後の記憶が消えたのです」。

これは佐倉整形外科病院の医師も言ったことで、自分としては、あんな緩斜面であんな激しい転倒はしないと思うので、いまいち納得出来ないのですが 「そうなんだ」 と思うことにしました。

今まで通りの生活をしてまったく問題ないという事で、 MRIの画像を見せられながら説明を受けました。

付録として、脳の状態が年齢よりもはるかに若々しいと褒められて、単純ですから、ついうれしくなって気分良く帰って来ました。

あとは肋骨がくっつくのをひたすら待つしかありませんが、かさぶたも徐々にとれて顔の腫れも引いてきたし、胸の痛みが少し残ってはいますがあと一か月半の我慢でしょう。

でもスキー引退の決意は変わりません。

2015年3月1日日曜日

スキー引退

2015年3月1日、長年楽しんできたスキーですが引退することにしました。

仲間はまだ一緒に滑ろうと言うかも知れませんが、もし同じような事故が再発したら次回はこの程度では済まないかも知れず、神様が引退を薦めたと受け止めることにしました。

今週金曜日に紹介状を持って成田赤十字病院の脳神経外科で脳の精密検査を予定してますが、脳は90%異常なしの結果になるだろうとは思います。(もしかして認知機能の異常が発見されたりしたらそれも問題ですが)

どんな状態で起こった意識障害なのか、どんな原因だったのかがある程度分かるとも思えず、まして、これから再発しない方法などが示されるとは考えにくく、やはりこの先スキーをするには大いに不安が残ります。

スキーをやめたら残りの人生何の楽しみも残ってない訳でもないし、遅かれ早かれ出来なくなる時期は直ぐ目の前だし....やはりこれが引退のタイミングだろうと思います。

あの粉雪を舞い上げてターンする爽快感、急斜面をなんとか滑り降りた時の達成感......スキーの醍醐味はいろいろですが、自分なりに十分楽しみました。

若かりし頃、私に初めてスキーの楽しさを教えてくれた友人Sさんに心からの感謝を捧げます。