2009年12月31日木曜日

ハワイ島 4日目




2008年7月8日(火)
4日目の今日はジジババだけ昨日申し込んでおいた「火山・溶岩ハイキング&星空観測ツアー」に行ったのです。
現地のJack's Toursが主催する小さなツアーでしたが、ハワイ島の北部にあるパーカー牧場を、車窓から見学したあとヒロ地区のBigIslandというチョコレートの工場直販店に寄りました。

ヴォルケーノ国立公園では園内のビジターセンターで火山に関し様々な資料や写真、ビデオなどで詳しく知ることが出来たほか噴煙の上がる大きなクレーターを眺めることが出来ました。

そしてThurston LAVA Tubeという溶岩ドームの中を歩くことが出来ましたが、火山活動によって出来たこの洞窟のようなトンネルは、実際にドロドロした真っ赤な鉄が流れるような光景を想像した時そのすごさが思われました。

最後は真っ赤な溶岩の火が見えるところまで溶岩原野のようなところを歩きましたが、溶岩が流れた波模様になっていてそのまま冷えて固まったことがはっきりと分ります。
望遠鏡で見ますが、溶岩が海に流れ落ち大きな水蒸気が立ち上る様子や、真っ赤な火が見えて、こんなそばに今活動中の火山があることが信じられない思いでした。

良くハワイの写真で見る溶岩の川のような景色はヘリコプター観光でなければ見られないわけですが遠くではありましたが世界遺産にもなっているキラウエア火山のこの溶岩や溶岩ドームを見られたこのツアーに参加して良かったと思いました。

最後は、星空観測ですが、ガイドさんがレーザーポインターで満天の星空を指しながら説明してくれる数々の星座に感心しました。夜中12時頃ヒルトンワイコロアビレッジに帰り宿泊棟へ戻る途中今日ガイドさんが説明してくれた天の川をはっきりと見ることが出来て二重に楽しんだ溶岩と星空観測ツアーでした。

2009年12月30日水曜日

ハワイ島 3日目



2008年7月7日(月)
今日はトモちゃんのパパは一人でスキューバダイビングへ出かけました。
残された我々4人はタクシーでワイコロアビレッジにあるスーパーマーケットへお買い物です。
この地域は溶岩が流れ出た上に出来ていて飲み水の確保も大変なようで、
タクシーが走る道路の両側は溶岩だらけで草木もまだまだ少ない地域なのです。
小さな村のスーパーマーケットですが、中は広く大きなショッピングカートを使っています。
孫のトモちゃんをカートの上に乗せてお店の中をぐるぐる回りながらママとババがいろいろ買い物をするのを待っていました。
ランチはこのショッピングセンター内にあったSubwayというサンドイッチを注文で作ってもらうお店の中で食べました。
帰りのタクシーは来た時にもう一度迎えに来てほしいと頼んであった時間にまたやってきてくれたので問題なくヒルトンワイコロアビレッジへ戻ることが出来ました。
夕食は日本食にしようということでダイビングから戻ってきたパパも一緒にバスで昨日行ったQueen's Market PlaceにあるSansei Restaurantで食べましたがかなりハワイナイズされた日本食でした。

2009年12月29日火曜日

ハワイ島 2日目




2008年7月6日(日)
今日は一日ヒルトン・ワイコロア・ビレッジで過ごす予定で先ずはオーシャンタワーにあるパーム・テラスレストランで朝食をしました。
雀が沢山レストランの周囲にいて床に落ちたものを狙っては飛び込んできます。
このリゾートは、広大な敷地に3箇所のホテル棟があり、それらをモノレールの二つの方法でつないでいるので単に移動時間が早いというだけでなく楽しく移動出来るようになっています。
外海から水を引き込んだラグーンと名づけられた小さな海で遊んだ一日でしたが、ラグーンの隣にはイルカと遊べる有料の浅い海がつくってあってトレーナーと一緒に子供たちがイルカに触れたりして楽しそうにしている姿もありました。
ラグーン・グリルでランチを食べ、砂浜で遊んだり泳いだり一日を楽しく過ごしました。
夕食はキリン中華レストランで食べましたが、途中でトモちゃんは眠くなりイスの上で寝てしまった2日目でした。

2009年12月28日月曜日

ハワイ島 1日目




2008年7月5日(土
定刻夜9時、孫のトモちゃん親子とジジ、ババを乗せたJALウェイズJO070便は成田空港を飛び立ち一路太平洋をビッグアイランドことハワイ島へ向いました。
飛行時間7時間45分を3歳のトモちゃんが、いい子にして乗っていてくれるか、それだけが心配なハワイへの旅でしたが、心配したようなトラブルもなくハワイ島のコナ空港へ到着、入国審査でひとしきり待たされましたが、出口で待つツアー専用のマイクロバスに乗り込むことが出来ました。
今日はホテルにチェックインする前にコナコーヒー農園とカイルアコナの二箇所へ案内されましたが19時間の時差があるので7月5日土曜日午前中の観光です。
ドトール・コーヒー直営の「マウカ・メドウズ」はハワイ島最大のコーヒー農園だそうでコーヒーの木の他フラワーガーデンやフルーツガーデンの見学とコーヒーの試飲が出来ました。
孫のトモちゃんも良く歩きコーヒー農園でのひとときを楽しめました。
そして次に向ったのは、オーシャンフロントのショッピングビレッジ「カイルアコナ」です。
丁度昼食時間で集合時間が決められれフリータイムに移行しました。海を前にしたコナインのレストランでハワイ島最初の食事です。
アメリカの食事はそのボリュームの多さに困りますが、ここでも早速大皿に盛り上がった料理がはこばれてきました。
食事の後、お店をのぞいたりしてるうちに集合時間になり、再びマイクロバスへ乗り込みます。
目的地のヒルトン・ワイコロア・ビレッジへの途中簡単なハワイ語を教えてくれたりハワイ島の解説をしてくれたりしてるうちに到着。
ツアー客専用のカウンターでチェックインを終え、ホテルの敷地内を走るモノレールに乗り込んで宿泊棟のオーシャンタワーに到着です。
そして、夕食には近くのショッピングセンターQueens' Market Placeまでバスに乗って出かけた1日目でした。

2009年12月27日日曜日

九州・中国 2週間の旅 14日目

2008年5月24日(土)
鳥取駅前のワシントンホテルプラザを出たのは9時でした。
先ず近くでガソリンを満タンにし中国自動車道の佐用ICをめざしました。
雨になった最後の日なのでより安全運転を心がけての走行です。

大阪からは新名神を経由し湾岸長島SAでも休憩しましたし、その後何回か休憩しながらの帰路でしたがよく走りました。

姫路城原爆ドーム厳島神社岩見銀山と4箇所の世界遺産も見ましたしお城や神社、古い町並み、素晴らしい自然の景色や公園そして温泉....もっともっとゆっくり時間をかけて見たかった所も沢山ありました。

2週間という限られた時間の中での観光ですから止むを得ませんが、機会があれば又訪れたいところばかりでした。
故障もせずに走った車の品質も素晴らしいし、カーナビという優れものにも助けられての旅でしたが総走行距離3757kmは良く走ったものです。

これで14日間の旅の記録も終わりですが事故も無く行ってこれたことに何よりも感です。

2009年12月26日土曜日

九州・中国 2週間の旅 13日目



2008年5月23日(金)
松江ホテル一畑で朝食に出たしじみの味噌汁には小さなしじみが数個入っていただけでした。
もう宍道湖では大きなしじみは獲れないのでしょうか。
....この旅行のあと10月から放映されたNHKの朝の連続小説は宍道湖のしじみ漁師の双子の娘が主役の「だんだん」という松江が舞台のドラマで、この時はまだ知りませんでしたが松江城や宍道湖、ホテル一畑などが出てきて懐かしく見たものです....
今日は先ず足立美術館です。「5年連続庭園日本一」に選ばれている庭はもしかしたらこの美術館にある横山大観の数多くの日本画よりも有名かも知れません。
今日も多くの観光バスが訪れています。植木の手入れがメインとは云え、一年間造園科で勉強した経験が庭園に対する関心度合いを高めているのでとても興味深く見れました。
素晴らしい庭だけでなく、美術館の中から窓を額のようにして庭園が見える場所などもあります。
玉ものやマツも多くつい手入れの大変さを思ってしまいます。
足立美術館をゆっくりと見学した後、駐車場そばで出雲そばをランチに食べてから鳥取砂丘をめざしました。
鳥取砂丘は寅さん映画で一度見たことはありますが本物はもちろん初めてです。
歩いて砂丘の上まで行ってみましたが、そこから見える砂丘はさほど大きくなく年々小さくなっているようでその防止にも苦労しているそうです。
鳥取砂丘を見てから、今夜の宿に鳥取駅前のワシントンホテルプラザへ行ってみました。
金曜日でしたが部屋は充分空いていたようで問題なく宿泊することが出来ました。
明日の天気は全国的に雨のようなのでどこにも寄らず真っ直ぐ帰ることにし、
初めての鳥取県なので、JR鳥取駅や周辺のお店なども見てまわった旅最後の日でした。

2009年12月25日金曜日

九州・中国 2週間の旅 12日目




2008年5月22日(木)
素泊まりの農林福祉会館を出て先ず近くのローソンで朝食を買いVOXYの中で食べた今回最初の経験です。
予約なしの旅だからこんなこともあるのはしょうがないでしょう。
今日は、昨年2007年7月に日本14件目の世界遺産として登録されたばかりの「石見銀山遺跡とその文化的景観」を見に行きます。

龍源寺間部と呼ばれる銀山の坑道遺跡までは小さな村落を抜ける道を歩いてしか行かれません。
駐車場から30分ぐらい歩いたでしょうか、唯一中に入れる龍源寺間部の坑道は狭く、世界遺産としての価値よりも、その時代ここで銀を掘り出していた工夫達のつらさばかりが思われた見学でした。

ここでも世界遺産センターがあり、この岩見銀山遺跡を様々な観点から解説してくれていました。
大田市へ朝来た道を戻り大田から国道9号線に入り日本海沿いに次の目的地出雲大社をめざしました。
途中、道の駅キララ多伎で日本海を眺めながらの休憩、この道の駅では大きな鮮魚売り場があり美味しそうな日本海の魚が沢山並んでいました。

カーナビは今日も間違えずに出雲大社まで案内してくれました。出雲大社には神無月の10月、日本中の神々が集まっての神議があるそうですが、5月なので静かな出雲大社をお参りすることが出来ました。
大きなしめ縄と神殿の屋根が印象的な出雲大社は縁結びの神ですが、新たな縁をお願いする必要もないのでいい縁を授かったお礼をいい、無病息災家内安全を祈ってきたのです。

出雲大社からは宍道湖の北側を通る国道431号線を松江へと走ります。
海のように見える宍道湖を見ながら、松江に入りまず宿の確保をと松江で一番良さそうな松江ホテル一畑へ行きフロントで空室を聞き泊まれることになり一安心です。

まだ時間に余裕があったので直ぐ松江城へともう一度VOXYで走りました。
城は閉館時間が来て天守閣へは上がれませんでしたが、お城の周囲は城山公園になっていて夕食前のしばしの散策は松江を楽しむには充分でした。

2009年12月24日木曜日

九州・中国 2週間の旅 11日目



2008年5月21日(水)
九州・中国の旅もあちこち見て回っているうちに今日はもう11日目、福岡から島根への移動日です。
博多駅前の西鉄インを出て福岡都市高速、そして九州自動車道から関門自動車道へと入り関門橋を門司サイドから眺める絶好地、めかりPAへVOXYを入れての休憩です。

関門橋が直ぐそばから見え、また対岸の景色も良く見えるこのPAは人気でお土産もよく売れていました。
しばらく景色を楽しんだり、お土産店をのぞいたりしてから、今日の目的地石見銀山近くまで一路中国自動車道を走ります。
ランチは中国自動車道の鹿野SAです。
食後にリポビタンDなど飲んで岩見銀山の出来るだけ近くまで行こうと頑張り今日の走行距離は417kmになっていました。
岩見銀山への足場である大田市には適当なホテルがなく、結局島根県の大田市農林福祉会館で素泊まりをしましたが、今回の旅で2軒目のひどい宿になってしまいました。
止む無く、夕食は近くのショッピングセンター内にあったガスト島根大田店で食べた11目でした。

2009年12月23日水曜日

九州・中国 2週間の旅 10日目




2008年5月20日(火)
昨日は雨の熊本城でしたが、今朝は再び快晴、朝一番の予定は、熊本県庁近くの水前寺成趣園です。
桃山様式の優美な回遊式庭園で肥後藩主細川氏ゆかりの庭園として有名で、出水神社を中心に能舞台などもあり、池、松、橋、築山などを配した庭園は見事な美しさです。
観光客相手のプロの写真屋さんが朝一番ということでまだ暇そうにしていて
「貴方のカメラで撮ってあげるよ」と庭園をバックにツーショットを一枚撮ってくれました。
「もっと寄り添って!」などと注文をつけられましたが、やはりプロ、素晴らしい 出来上がりです。
帰ってから一枚プリントして額にいれて飾り棚に飾ってあります。
水前寺を後にして、九州自動車道で佐賀県の吉野ヶ里遺跡へと向かいました。
1986年に発掘された大規模な集落跡や墳丘墓が邪馬台国論争を巻き起こした遺跡で一度行ってみたいと思っていたところです。
広大な遺跡に弥生時代の集落が復元され、くらしの状況などがわかるようになって います。
ずい分ゆっくり見学した後、吉野ヶ里歴史公園レストランで吉野ヶ里そうめんなど食べて次の予定地太宰府天満宮のある福岡へと走りました。
大和朝廷西の防衛拠点、菅原道真を祀った大宰府天満宮は学問の神様です、自分はもう遅い?ですが、孫のトモちゃんの為に手を合わせよくお願いしてきました。
そして太宰府天満宮の隣にある九州国立博物館はあまりゆっくりも出来ないので特別展示の国宝大絵巻展は見ませんでしたが、記念にクリームぜんざいを食べて休憩しました。
総ガラス張りのモダンな建物はサッカー場が一つすっぽり入るほどの大きな建物で、流石国立という感じがした九州国立博物館です。
今日の宿泊は博多駅前のビジネスホテル西鉄インで、チェックイン後キャナルシティや屋台街などを歩き博多の雰囲気を楽しんだ九州最後の日でした。

2009年12月22日火曜日

九州・中国 2週間の旅 9日目



2008年5月19日(月)
旅行人山荘は、ホテル所有の散策の小径も整備された5万坪の林の中にあって、片道15分ほど歩くと新鹿児島百景にも選ばれたという姿の美しい滝も見ることが出来ました。この林の中に予約制の露天風呂もあり、たまに鹿が入ってくることもあるとフロントの人に言われながらも霧島温泉郷の露天風呂を楽しみました。

今回九州・中国の旅で泊まったホテルではベストと思う環境とサービスの旅行人山荘、このホテルの予約に到った経緯も偶然でしたが、さらに驚いたのは、昨日チェックインの際フロントマンが何年か前まで我家の近くの三里塚の宅配便の会社で働いていたということでした。
広いようで狭い世の中と偶然の不思議さには驚きました。

そんな旅行人山荘を出て今日は天草を経て熊本城までが予定です。
途中から降り出した雨は天草へのフェリーターミナルがある八代まで来ても止みませんでした。

天草の北のはずれに近い天草松島までは松島フェリーで50分、11時40分の便は雨の中積載車両3台で八代を出航したのです。
天草5橋天草パールラインも雨では感動するような景色もなく、天草四郎やキリシタンにまつわる観光ポイントもいくつか在りましたが、天草物産館でランチにうに丼を食べたぐらいで一路熊本城へと走りました。

熊本城はちょうど本丸御殿が復元されて間もない時期でもあったため雨の平日にも係わらず大勢の観光客が訪れていました。
本丸御殿内を順路に従って見て周りましたが、大広間などその豪華絢爛さには驚かされます。
加藤清正が築城してから400年余、明治10年1877年に焼失し再建されたものとはいえ400年以上も前の優れた築城技術と各部屋の素晴らしい障壁画など見ごたえのあるお城でした。

一通りお城見学を終え、二の丸駐車場に停めたVOXYの中で今日の宿探し、予定していたメルパルク熊本に泊まることが出来ました。

2009年12月21日月曜日

九州・中国 2週間の旅 8日目




2008年5月18日(日)
昨夜は土曜日とあって予約なしの宿泊は難しいだろうと予測はしていましたが、やはり最初の指宿いわさきホテルは満室と断られ、泊まれたのは2番目の予定ホテル指宿フェニックスホテルでした。周囲にフェニックスが植えられ、散策出来る広い庭園のあるいいホテルでした。
今朝は先ずNHK大河ドラマ放送中でもある天璋院篤姫の生家である今和泉島津家の館跡へ行きまが、少し先に道の駅「いぶすき」があるので先にそちらに寄ってみました。海が見渡せる高台にあり眺めの素晴らしい道の駅でした。
海岸にある今和泉島津家の跡地は現在小学校があってその面影はつるべ井戸だけでしたが、篤姫人気で観光客が多く、地元の名物ガイドが案内するツアーの最後尾について面白い説明を聞きながら跡地見学をしたのです。
そして次に行ったのは、太平洋戦争で特攻隊の出撃基地があった鹿児島県知覧町にある知覧特攻平和会館です。沖縄の特攻で散った多くの若い兵士が、特攻を前に何を考えどう過ごしたか、多くの遺影、遺品、記録等が涙なしに見られないような展示でした。
同じ知覧町にある知覧武家屋敷群は薩摩の小京都と言われているようで、武家屋敷にある7つの庭園と共にしっとりとしたたたずまいを見せるきれいな町並みでした。
知覧JAレストランでランチをしましたが、売店では知覧茶が販売されていました。試飲させてくれました、購入してきたかどうかは思い出せませんがなかなか美味しいお茶でした。
ランチも済ませお茶も頂いて、次は今日の最終予定地霧島神宮ですが、又九州自動車道を戻り鹿児島空港側の溝辺鹿児島空港ICで下車し霧島神宮へと向かいました。
大きな年代物の木立に囲まれた参道、鳥居、神殿、なかなか厳かな雰囲気です。坂本龍馬がおりょうと新婚旅行に来たところだとか、パネルが立てられていたのも印象的でした。
そして今日の宿は霧島温泉郷にある旅行人山荘でここも事前調べでNo.1に予定した温泉宿です。
篤姫の生家見学の際、ツアーの後にくっついてガイドさんの説明など聞いていたのですが、ツアー客の一人が「もし今夜のホテルが決まってなければいいところを知ってます」と紹介してくれたのが奇しくも同じこの旅行人山荘だったのです。
その偶然に驚きながらも、その時「それではお願いします」とその方に予約をしてもらっていました。このホテルでメンテナンスをやっている業者の方とかで2名の予約がとれたことでその方も喜んでいました。
そんな旅の出来事が、旅をさらに楽しいものにしてくれることにつながり、いい気分で旅行人山荘にチェックインしたのです。

2009年12月20日日曜日

九州・中国 2週間の旅 7日目



2008年5月17日(土)
昨日は日南フェニックスロードを離れ、国道222号線を少し入り、かんぽの宿日南に「空室あり」の表示を見つけて泊まりました。
今朝は先ず近くにある飫肥城跡と周囲の武家屋敷や町並みなどを見に出発です。昨日掘切峠で出会った札幌から来たというミニバン夫婦との会話の中で、「飫肥はどうですか?」と聞かれ、予定地に入れてなかったこともあり「たいしたことないんでは?」と返事はしたものの気になって昨夜かんぽの宿でパンフレットなど見て今日行くことにしたものです。
結果は、来て良かった! 本丸(本丸跡地は小学校になっていました)こそ残っていませんが、城跡の雰囲気は充分あり、大手門そばの予章館とその庭園を見たり、明治の外交官であった飫肥出身の小村寿太郎の記念館を見たり、歴史資料館を見たり、古い町並みを歩いたりとなかなかいいところだったのです。

そして今日の目標地は指宿なので、国道222号別名飫肥街道を走り、途中萱葺き民家のような建物が印象的な道の駅酒谷で休憩しながら都城を抜けて末吉財部ICから東九州自動車道に入りました。

桜島SAで桜島を眺めながら少し遅めのランチをし、東九州自動車道は薩摩吉田ICで降りカ-ナビに設定した仙厳園を目指します。
仙厳園は島津家の別邸があったところで、桜島が前面に広がる素晴らしい庭園と共に幕末にいち早く近代的な製鉄技術を取り入れた反射炉などの跡地もあります。この歴史的遺産が県や市の所有でなく島津交通の所有であるところも興味深い点です。
当初鹿児島港からフェリーで桜島に渡ってみようかとも思っていましたが桜島で泊まったりしていると何日の行程になるかわからないので鹿児島市内で島津家の城だった鶴丸城跡を横目にみながら指宿スカイラインへと入り宿泊予定の指宿温泉を目指したのです。

2009年12月19日土曜日

九州・中国 2週間の旅 6日目



2008年5月16日(金)
今日も快晴、先ずはホテルからも近場にある高千穂峡へ行きました。 高千穂峡は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇山噴火の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って流れ出し、急激に冷却された侵食谷....とHPに書かれていましたが、高千穂という日本国誕生神話に満ちた地にあることが一層自然の神秘を感じさせます。                          

渓谷の河原につくられた遊歩道を歩き奇岩や滝や3重にかかった橋の景色などを見たり、ところどころツアー客のガイドさんの説明を後で一緒に聞いたりしてから高千穂神社へとVOXYを走らせました。

高千穂神社には人影もなく樹齢何百年もする杉と古そうな社殿が厳かさを漂わせていました。お参りしてから国道218号別名神話街道を日向灘の延岡市へ向って走りました。                 

途中この道でいいのかな?と思うような細い山道もありましたがカーナビは正しく延岡市へと入ってきました。今日のランチは海がきれいに見える日向道の駅の庭のテーブルでした。               

そしてその後バブルの申し子のようなシーガイアリゾートの施設群をながめ、今や観光名所になった宮崎県庁へ行ったのです。庁舎内ツアーもあるようですが外観をみてから、観光客で賑わう隣の宮崎物産館へ行ってみました。東知事の似顔絵入りのお土産品が所狭しと並んでいるのに驚きながら似顔絵があれば売れる?その影響力のすごさをあらためて感じたのです。                                       

県庁を過ぎると国道220号は宮崎南バイパスを通り海岸線の美しい日南フェニックスロードにつながりますが、快晴なので空の色と海の色のブルーも鮮やかだし海岸線は特にきれいです。            

目的地は日南フェニックスロードでも特に美しいと云われてる掘切峠とフェニックス道の駅そばの景観です。道の駅でゆっくりコーヒーを飲みフェニックスと美しい海岸線を楽しんで、あらためてお天気に恵まれた今日この場にいることに感謝したのです。

2009年12月18日金曜日

九州・中国 2週間の旅 5日目




2008年5月15日(木
快晴が続く九州・中国の旅も今日は5日目、昨日までの走行距離は1277kmになりました。
一夜明けた湯布院、朝食の時隣のテーブルの方に由布岳をバックにツーショットを一枚撮ってもらったりしながら、ゆったりとした時間を過ごせるのも気ままな旅の良さです。

昔は、九州の有名な温泉地に湯布院の名は無かったと思います。何時の頃から、誰が、この地をこれだけ人気のある温泉地に仕立て上げたのか知りませんが、由布岳を囲む大自然の中、温泉の泉質も良くいい温泉地でした。

温泉も食事も良かったゆふいん七色の風をチェックアウトして、昨日パスした別府温泉の地獄めぐりへと戻りました。海地獄、坊主地獄など湧き出す熱湯のすごさに、感心しながら見て回ること小一時間、阿蘇山までの先も長いので朝来た大分自動車道を湯布院ICまで戻り湯布院の金鱗湖へ。湖の西半分に温泉が湧き、東半分に清水が湧くという不思議な湖です。湖に手を入れると暖かくそれでて魚を見かける不思議さでした。
次は2006年10月30日に開通したばかりの長さ390m高さ173m、日本一の九重「夢」大吊橋へと、やまなみハイウエ-を走りました。日本一を体感すべく吊橋通行料500円を払って往復してみましたが、やはり大きくてもそこそこ揺れるのと下を見ると谷なので地上の390mより長く感じられました。
快晴の今日、阿蘇くじゅう国立公園を走るやまなみハイウエーは快適で長者原で休憩、阿蘇5岳を見渡せる昭和天皇皇后お立見処と書かれた城山展望所で雄大な阿蘇の山々を眺めた後、阿蘇山へと向いました。
阿蘇山手前で、直径1kmの大草原、草千里を見てから今日最後の目的地阿蘇山へと到着。世界最大級の複式火山で東西18km南北24kmとか、ガスの吹き上がる火口と何度あるのか分りませんが火口の薄緑色した熱湯は神秘的というより恐い感じです。自分は二度目の阿蘇山でしたが二度共火口が見えたのはラッキーということでしょうか。ガス濃度の注意標識や噴火時に備えたコンクリートの避難所も数箇所あって活火山であることが実感出来ます。
この後、明日は高千穂峡なので出来るだけ近くに宿をと思い高千穂町で探したのですが適当なところが無く、雑誌のお宿ガイドで見つけたホテルへ電話して予約が出来ましたが、到着してみたらそこは今にも廃業しそうな古い田舎のホテルで5泊目にして予約なしの旅のマイナス面を経験することになったのです。

2009年12月17日木曜日

九州・中国 2週間の旅 4日目



2008年5月14日(水)
部屋も眺望も素晴らしかった昨夜の宿安芸グランドホテルを後にして、今日の最初は山口県岩国にある日本三名橋といわれている錦帯橋です。 1673年江戸時代に出来た最初の橋は1950年に台風による洪水で流失、1953年に再建、そして48年後の2001年から3年かけて架け替えが行われたそうです。
錦川の河原の駐車場にVOXYを入れて、先ずは錦帯橋を渡ってみました。木製アーチ状なので歩くのに実用的ではありませんが、適度な斜度で楽しめます。対岸の河原から錦帯橋を見るとバックの山頂に岩国城が見えなかなかの景観です。
アーチ状の橋も美しいですが、橋の下から木組みを良く見ることが出来、その造橋技術が今に伝承されているということにも素晴らしさを感じました。

そして今日の二番目は関門海峡を見下ろす「海峡夢タワー」です。山陽自動車道は下関JCTで中国自動車道とつながります。そして中国自動車道下関ICで一般道へ。タワー近くの市営駐車場へVOXYを入れてタワーへ行ってみましたが、平日とはいえこの時間展望台にいたのは2、3人です。
快晴だったこともあって、遠くにつり橋「関門橋」、対岸の北九州市そして宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島も良く見え関門海峡の素晴らしい景色を楽しめました。

ランチを済ませ、さっき夢タワーから眺めたつり橋関門橋を渡っていよいよ九州へと入ったのです。

このつり橋を眺めるのに絶好なPAがありますが帰りに見ることにして、北九州JCTから東九州自動車道へ入り途中一般国道10号で先ずは一路今日の宿泊予定地湯布院へと向いました。

湯布院ではぜひこのホテルに泊まりたいと事前に調べてきたゆふいん七色の風の予約も途中から携帯電話ですでに取れていました。
ホテルは湯布院の温泉街を見下ろす小高い丘の上にあってゆったりと取られた敷地にはオムニのテニスコート3面もありリゾートタイプの感じのいいホテルでした。

今回の旅で湯布院温泉指宿温泉霧島温泉の3つの温泉には時間調整をしてでも泊まりたいと決めていた訳ですが、その第一番目が今日の湯布院です。しかも一番候補に宿泊予約が出来たことで期待をしていましたが、その期待通り温泉よし食事良しで二人で飲む生ビールは格別に美味しかった湯布院の夜でした。

2009年12月16日水曜日

九州・中国 2週間の旅 3日目




2008年5月13日(火)
昨日泊まったところが倉敷紡績の工場跡地とあって、チェックアウト前に敷地内にある倉紡記念館とアイビー学館の2箇所を見て回りました。
倉紡記念館は、倉敷紡績のなりたちから戦後に至る発展がパネルや展示品、模型などから知ることが出来て興味深くかなりの時間詳細に見て回ったのです。
3月の四国の旅の帰りに寄れなかった倉敷ですが、美観地区に限らず落ち着いたいい雰囲気の町でした。
そして今日は早3日目、倉敷出発が遅くなったけど倉敷ICから広島まで山陽自動車道を走ります。
広島市街へ入ってからランチをしていては少し遅くなるので、河内ICを過ぎた小谷SAでキツネそばに焼きたてパンでの昼食です。
広島で山陽自動車道を降りて、ナビの言うとおり走ると広島平和記念公園へ着きました。でも駐車場がなく街中のビルの谷間に見つけた駐車場に入れて早速原爆ドームへと歩きました。自分は昔来たことがありその時見た平和記念資料館での数々の悲惨な写真や焼け爛れた物品などはあまりにも鮮烈だった記憶があって今回この資料館はパスしました。 
1996年世界文化遺産に登録された原爆ドームは核兵器廃絶と平和を願う象徴として保存されてきていますが、いまだに世界から核兵器は無くならず、この先無くなる見込みさえない現実には情けないものを感じます。
原爆ドームを見て安芸の宮島へ向います。 今日はもう時間が遅いかなと思いつつフェリー乗り場の駐車場へ来ると、駐車場のおっさん曰く「まだまだ充分時間があるから行ってきな」。駐車場1000円は高いがそのまま停めてフェリー乗り場へ。
修学旅行の中学生や宮島住民と一緒にフェリーに乗ること10分、今回3つ目の世界文化遺産である厳島神社がある宮島へ上陸。
フェリーに乗ってから分ったが宮島は以外に大きな島でした。1400年の歴史を持つ厳島神社、外国人観光客もかなりいて、やはり世界文化遺産という重みを感じるものです。
満潮時ではなかったので海に浮んでいるように見えるタイミングは逃したものの朱塗りの廻廊と社殿は美しく見ごたえがありました。いつか訪れてみたいと思っていた厳島神社、この美しい神社が将来海面上昇によって床上まで海水が来る様なことがないことをひたすら祈ったのです。
フェリーで宮島口まで戻り今夜の宿をカーナビの周辺施設から探しごく近くに安芸グランドホテルがあることがわかり早速ホテルへ。そして広島湾と厳島神社の大鳥居が見える最高の部屋を確保することが出来た3日目だったのです。

2009年12月15日火曜日

九州・中国 2週間の旅 2日目



2008年5月12日(月)

ホテル日航大阪の地下駐車場を出発したのは9時頃でした。大阪の都市高速道路もカーナビのガイドで難なく抜けてあとは山陽自動車道へ。山陽姫路東で一般道へ入りカーナビの指示通り姫路城前の市営パーキングに入ることが出来ました。
駐車場では係りの人でしょうか、「久しぶりに千葉ナンバーを見ましたがどちらから?」と声をかけられたのです。 自分は何年か前まで千葉の市原にいたとか....。遠くへ旅をした時同じ県のナンバーを見ると親しみを覚えるのは誰しも同じようです。
1993年に日本で初めて世界文化遺産に登録された姫路城は白鷺城と呼ばれるだけあってその姿がとても優雅です。
天守閣へはハシゴに近い階段を登るのですがその数も多くかなりの運動量です。姫路城の築城から最後の城主まで一度も戦火にまみえることが無かったこの城の変遷に思いを馳せるとき運命の不思議さを思わずにはいられませんでした。
姫路城前の更科そばで遅めのランチを済ませ、カーナビに岡山後楽園を設定します。
自分は昔若い頃来たことがあったのですが、どんな庭園だったのか記憶も薄らいでもいたし、Wifeは初めてなのと日本三大名園の一つでもあり今回の旅に入れたのです。
あらためてこの庭園を眺めると芝が多く手入れ管理が大変だろうと他人事ながら心配になるのは我家の芝庭管理でその大変さを実感しているからでしょう。
後楽園では番茶セットで休憩しましたが時間に終われるツアーでなく個人の旅の良さを満喫出来たのです。 又ここ後楽園は唯一今回の旅を通して65歳以上の入園料が免除されたところです。
駐車場に戻りいよいよ今夜の宿探しです。幸い宿のガイドマガジンに掲載されていた「倉敷アイビースクエアー」というところを予約出来たので高速道路を使うこともなく一般道で岡山から倉敷まで走りました。
到着してみて今夜の宿がとても由緒ある倉敷紡績工場の跡地にあることとホテルの建物も昔の工場の建物を利用していることを知ったのです。
建物の壁面は一面緑のアイビーで覆われとても趣があります、それに加えてホテルロケーションがなんと倉敷の美観地区に隣接しているという申し分ないところだったのです。
チェックインして部屋に荷物を入れましたが、まだ時間も早かったので倉敷の美観地区を散策しました。倉敷川にかかる太鼓橋になっている中橋と角にある考古館(写真)の風景は倉敷を代表するような景色ですし、川岸の柳と古い建物が日本文化を代表するような町並みになっています。大原美術館や倉敷民芸館などもあり1日2日滞在してもいいと思うようなしっとりとしたところでした。