2010年4月27日火曜日

山の辺の道



2010年4月22日(木)
朝から雨、京都駅から近鉄に乗車するのも3日目ともなると勝手も分りホームへ行くのもスムーズです。
今日は大和西大寺で下車、雨の中を西大寺へと歩きます。全体が新しいようで特に見る物なく今日のメインである平城京へと案内看板に従って歩くと、昨年11月に来た記憶も新しい風景が目に入って来ました。
雨が降る中、大極殿を見るべく歩きましたが、平城遷都1300年祭は明後日の24日から開幕であることと、後で分ったことですが、この日午後皇太子殿下が視察に来られるということで厳重な警備体制が敷かれバリケードの中へ一歩入っても警備員が飛んできて追い出されるような状況でした。

それでも雨の中来たので写真一枚撮影し、あの広い平城宮の中をビショビショになりながら歩いて朱雀門と行きました。
この平城宮を囲むように人口10万人ぐらいの都市平城京が整然と機能していた1300年前の姿を想像するとその日常生活の日々をタイムマシンに乗って覗いてみたくなります。

平城宮から唐招提寺へそして歩いて薬師寺へと昨年と同じコースになった今日でしたが、雨がすごく法隆寺はスキップして京都へと戻り夕食をして20時38分の新幹線で帰りの途についたのです。

2010年4月26日月曜日

山の辺の道




2010年4月21日(水)
旅のメインである山の辺の道を歩く今日は予報は一転して快晴、この上ない天気に恵まれ喜び勇んで近鉄の天理駅まで電車に揺られたのです。
天理教の城下町のような総本部を抜けて石上神社が山の辺の道のスタートです。ここから近鉄の桜井までの約16kmが日本書紀にも出てくる官道「山の辺の道」なのです。
道は道標が良く整備されていて地図なしで何の不安も感じることのない道でした。道の景色は様々で新緑の山を眺めながら歩くところ、小さな村を抜けるところ、神社も幾つかあるし、遠くに近鉄沿線の町が眺められるところ、奈良盆地を実感出来るところ等、この道を古代の人々も歩いたかと思うとなんとなくロマンを感じる道で、うぐいすが鳴く山道では初めての短歌を一首つくってみました。
「うぐいすの 鳴く声ひびく 山の辺の 歩く友の背 しばしながむる」 
16kmを歩いたのは何十年ぶりでしょうか、昨日は多少不安もあり途中リタイアをせざるを得ない場面も想像したりしていましたが、最後多少足に痛みを感じる気もしましたが完歩出来たことで何かこれからの人生に自信を得たような気分でした。
桜井駅前で完歩を祝う三輪そうめんで飲んだビール美味かったのは言うまでもありません。

2010年4月23日金曜日

山の辺の道



2010年4月20日(火)
奈良は昨年11月に来たばかりでしたが、でも今回は仲間3人と一緒に古の官道といわれている「山の辺の道」16kmを歩くことを目的にやってきました。
宿泊は京都駅前の新・都ホテル、ここを基点に奈良へ近鉄で移動しての3日間です。初日の今日は東京駅発6時50分ののぞみなので我家を出たのは早朝4時15分でした。
あいにくの雨、近鉄奈良駅から東大寺へ雨の中を歩き南大門をくぐり大仏殿へ、前回から5ヶ月しか経過してないのでとても親近感を覚えながらの大仏鑑賞となりました。
そして前回は寄らなかったニ月堂へ、お水取りの松明が駆け巡る本堂をみたりしてから春日大社へと歩きました。男4人での歩きはやはり速く春日大社から興福寺下の猿沢の池そして今日のメインともいうべき国宝館での阿修羅像の鑑賞です。
沢山の国宝の像が居並ぶ中で一際神秘的な三面の像阿修羅はその素晴らしい表情が際立っていました。多分何時間でも眺めていたいと思う人も多いだろうと思われるその表情です。
写真では何度も見てはいたものの実物の素晴らしさには圧倒されました。
その後奈良県庁屋上から奈良市を360度のパノラマで見てホテルへと戻る近鉄奈良駅へと歩いた初日でした。

2010年4月17日土曜日

4月の雪

昨夜の気象予報で降雪が報じられていましたが、まさか本当にになるなんて....
今朝はみぞれから一時雪に変わり、庭も公園も真白になったのには驚きました。当初から雨の予報はあったので、今日のテニスは駄目だと思ってはいたものの、真っ白な公園や庭をみて一段と寒くなってしまいました。
写真は撮りませんでしたが2010年の4月17日は雪が降ったということを記録にとどめておこうと記事だけ書いてアップロードした次第です。
明日は春の暖かさを期待したいものです。

2010年4月16日金曜日

4月は真冬?


今日は4月16日....なのに外は雨とはいえ日中の最高気温6度、真冬並みの異常低温に震え上がっています。
我家の前のソメイヨシノも左は4月8日の写真で満開でした、そして右の写真は本日4月16日、寒さでまだかなりの花が残っています。開花が4月3日でしたから2週間も咲いていることになります。
この先平年並みの気候に戻るのでしょうか。

ブログをクローズしていた2年間に出かけた旅の記録を書いておこうと昨年12月から再開して4ヶ月半で大半の旅の記録を昨日で終えました。
これからは通常のブログに戻ってボケ防止の一助として書いていこうと思います。

この寒さに雨が重なった今日は庭へも出られず、東北の紅葉を訪ねる旅のプランづくりに着手して東北各地の紅葉情報などインターネットで調べたりして過ごしています。

2010年4月15日木曜日

鴨川シーワールド



2010年2月12日(木)-13日(金)
建国記念日の昨日孫のトモちゃんが鴨川シーワールドシャチを見たいと成田エクスプレスでやってきました。
空港第二ターミナル地下JR駅改札を荷物用カートに乗せてもらいご機嫌で出てきたトモちゃんとは正月以来の再会となりました。

そして今日はVOXYに4人で乗り込み鴨川行きです。
寒さの厳しい日でしたがそこそこの入場者がいて安心?したのは、あちこちのテーマパークが経営不振の昨今なので鴨川からこのシーワールドが消えるようなことがないのを願っているからです。

お目当てのシャチのショーはトレイナーと一体となった水中ショーが以前より増えたように思われました。
激寒の海水の中でのショーはどれほど大変なことだろうと思いながらの観賞ですが観客を楽しませる
にはやはり水中でのアトラクションが欠かせないからでしょう。
まじかに見る久し振りのシャチのショーに満足だったようで水族館を少し見てから館山にあるIBMの保養所へとVOXYを走らせました。

朝食の食堂では広い芝庭に餌めがけて急降下してくるトンビを観察することが出来るのもここの名物?になっていてしばし楽しめました。

雨模様の天気でもあり道の駅に寄ったりしながら早めの帰宅となった今回の鴨川・館山行きでした。

2010年4月14日水曜日

香港・マカオの旅



2010年1月29日(金)
3泊4日の旅はあっというまに終わります。今日はもう帰国ですが午前中はFreeタイムになっていて長女希望の買い物にホテル周辺の希望店周りです。

中国に返還された香港ですが1国2体制で13年、返還当時の不安は無く生活も落ち着いているようで昔のアグレッシブな香港を感じることが出来た今回の旅でした。

帰国便を待つ空港では昔の会社の仲間に出会い名前を呼ばれて驚きましたが、こちらも相手の名前が直ぐに出てきて自分でもホットしたのです。もし名前がなかなか出てこなかったらバツの悪い思いをしたことでしょう。

3泊4日の香港マカオの旅は、ツアー仲間と冗談が交わせるようになってきたところで終わりになってしまいましたが、久し振りに長女と一緒に出かけることが出来た楽しいいい旅でした。

2010年4月13日火曜日

香港・マカオの旅




2010年1月28日(木)
今朝はツア-バスで近くのレストランまで行き朝粥を食べ再びバスで九龍(KOWLOON)から海底トンネルを抜けて対岸の香港島へ渡りました。
昔の映画「哀愁」?で使われたという海岸レパルスベイを散策してから香港返還式典を行う為に建てられた香港コンベンションセンターの外観を見学です。
100年の年月を経て返還されたという香港ですが100年後に約束通り実行されたところに紳士の国英国の正義を感じます。

2階建ての市街電車トラムの乗車体験もツアーに組み込まれていました。
午後はツアー特有の?免税店やら和菓子店やらへ連れていかれましたが、特に買い物はなく免税店からはツアーバスでなく3人で街中を歩いてホテルまで帰りました。

昨日の夕食はフカヒレスープと広東料理でしたが今日は北京ダックでまあまあの北京ダックが食べられたのです。
今夜のオプショナルツアーは香港夜景観賞です。ツアーの団体は別な入口から横入り?が出来て長いケーブルカー待ちの列に並ばなくても上れるように優先されていました。

函館や長崎のように遠くの夜景ではなく直ぐ眼下のビル群が見える独特の夜景を楽しめました。
帰りは山の上にツアーバスが迎えに来てくれていて直ぐにホテルまで帰れた3日目の香港マカオの旅でした。


2010年4月12日月曜日

香港・マカオの旅




2010年1月27日(水)
ヴェネチアン マカオ リゾート ホテルは朝食会場のレストランへの往復にも時間がかかるほど広くホテル内移動が大変でした。

マカオは現在人口55万人、1999年ポルトガルから中国へ返還されていますが、歳入の大半がカジノ収入である現在の体制はそのまま継続維持されていて多分将来も変わることはないでしょう。

今日はマカオの世界遺産を見て回った後午後には香港へフェリーで移動します。最初に海の女神といわれる媽閣廟、次は日本で禁止されたキリスト教徒がここマカオで建築した聖ポール天主堂の火事で残った壁面、そして足元の石畳が世界遺産にもなっているセナド広場と行きました。

マカオもまもなく旧正月になる準備の飾りつけが行われていてきれいでした。
香港へフェリーで戻り夕食後は夜景「シンフォニーオブライツ」鑑賞になりました。香港の俳優ブルースリーの銅像がある湾岸沿いから音楽に合わせて変わるビル壁面のイルミネーションは夜の香港に最も似合う光景でした。

オプショナルツアーはオープントップバスでの夜の香港「女人街散策」を選び女性向きの小物を売るアメ横のようなところを散策し今夜のホテルシェラトンホテルにチェックインした2日目でした。

2010年4月5日月曜日

香港・マカオの旅




2010年1月26日(火)
今日から久し振りに長女も一緒に3人で香港・マカオへの旅です。
ツアーの選択から申込一切を長女にまかせての旅なので気が楽なことこの上なしです。
全日空NH909便は950に出発、1時間の時差で1355に香港に到着しましたが、昔出張で来た頃の空港ではなく市街地からかなり離れていました。
昔、パイロット泣かせだった香港の空港は山が目の前に迫っていて無事着陸するとホットした記憶もあります。
1997年に中国に返還されてからは初めてですが40年間?はそれまでの自由主義経済体制が維持されるそうで大きな変化は感じませんでしたが真っ赤な中国国旗が目につきました。

フェリーターミナルから17時発のジェットフォイルでマカオへ渡り先ずは夕食会場へ。
食後は「ホテルWynn」の前の噴水で毎夜行われている噴水ショーの見物です。
時間になると池に装置された噴水から出る水が音楽に合わせて踊るように高く低く広がったり狭くなったりわずか10分足らずですが見事なショーを繰り広げてくれました。

その後は「The バブル」へ移動して円形ドーム内に映し出される3Dの映像を楽しみました。
バスでマカオの高級ホテル群をながめながら今夜のホテルになっている「ベネチアン マカオ リゾート ホテル」へ。
大きなリゾートホテルで1泊だけでは楽しみきれない広さと設備です。

もちろん夜はホテルに併設されている広大なカジノへ。スロットルマシンだけでも何百台あるのか数え切れません。
スロットルマシンもそれぞれやり方が違うようでカジノのスタッフに説明を受けて一台やってみましたが最後は何も残らなかったのはいうまでもありません。
部屋はスイート、その広さと設備も素晴らしく2、3泊してみたいホテルでした。

2010年4月3日土曜日

古都奈良と熊野古道 8日目



2009年11月30日(日)
古都奈良と熊野古道の旅も今日は最後です。
昨日の宿熊野倶楽部を後にして、今朝は丸山千枚田へと走りました。当初の予定には入れてありませんでしたが、Wifeの希望で調べてみると熊野倶楽部からかなりの近場だったこともあり帰路の高速道路へ入る前にと宿で道順を聞いて走りました。
カーナビ情報を準備してこなかったのでマップコードも分らず宿で聞くことになりましたが割と直ぐに分りました。
この時期棚田には何もないので本来の美しさは見られませんでしたが、大きさからいえば輪島の白米千枚田よりもさらに大規模のようです。

平地の田がない為、苦労の末の棚田でしょうがこの棚田で米作をする農民の大変さは想像以上のものがありそうです。
最後のポイント丸山千枚田を出て一路我家へ向っての帰りです。

最後の今日は643km、8日間総走行距離は1701km、そして我が家へ着いたのは22時10分になっていました。
今年はこれで旅は終わりですが、随分といろいろなところへ出かけた2009年でした。

2010年4月2日金曜日

古都奈良と熊野古道 7日目




2009年11月29日(日
今日は熊野古道中辺路の大門坂の駐車場へVOXYを停めて大門坂から那智大社までの往復を歩く本格的?熊野古道歩です。
大門坂の入口附近に貸衣装を営むところがあって古式ゆかしい衣装を着た女性2人を見かけました。こんな衣装であの石畳の道を歩けたのでしょうか。杉木立の中に造られたこの石畳の道は高低さを調整する石積みまでされていて大事な道であったことが伺えます。

那智の滝までは昔来たことがあったのに、その時は那智大社までは上がって来なかったため今回初めての那智大社参拝となりました。

そしてここから見る那智の滝はまた景色としてはとても見ごたえのある風景です。
那智の滝を望む茶屋でうどんのランチをしてから登ってきた熊古道を大門坂まで下りました。この大門坂から那智大社まではきっと代表的な観光用熊野古道になっているのでしょう行き交う人もかなりいました。

大門坂まで下りて次は熊野三山の最後熊野速玉大社です。世界遺産を形成する一つになってはいますが、この大社は場所的にも大きさにしてもあまり見ごたえのある大社ではありませんでした。

そして今夜の宿はテニスの仲間の紹介である熊野倶楽部ですが、途中熊野灘で転覆遭難したフェリーが海岸に見えたので道路脇に駐車して海岸まで歩いて見に行ってきました。乗客が避難しやすいように出来るだけ岸辺までフェリーを移動させた船長の話をニュースで聞いた記憶はありましたが解体するしか撤去の方法はないとか...大変だろうと思いました。

宿の熊野倶楽部は、広大な敷地に点在する宿泊棟や温泉棟、レストランなどがあってどちらかと言えば滞在型リゾート施設のようでした。
紹介者が会いに来てくれしばし話しをしたりして旅の最後の宿である熊野倶楽部がより印象的になりました。

2010年4月1日木曜日

古都奈良と熊野古道 6日目




2009年11月28日(土)
旅も6日目に入りました。今日の予定は熊野本宮大社までですが先ずはかんぽの宿白浜を出て直ぐにある海岸の千畳敷へ行ってみました。
白浜温泉への客足が減っているのでしょう、浜に近いホテルらしき建物でも空き家になっているところも散見され寂びれを感じる温泉になっています。

人影も少ない千畳敷を見てから近くの三段壁洞窟へ行きました。熊野水軍が船を隠していたとも言われるこの海の洞窟へはエレベーターで降りて行きます。波の浸食で出来た洞窟は大きく又奥深くまで広がっていて軍船が隠せたとは思えませんが水軍の隠れ拠点にはなっていたでしょう。

そして今日は熊野古道中辺路を少し歩く予定なので熊野古道館で熊野古道全体の情報を勉強してから滝尻茶屋でランチをして、牛馬童子の小さな碑がある古道を歩いてみました。かなりの山道でしたが、昔から参詣道として多くの人手で整備がされてきているのを感じます。

熊野古道散策から熊野本宮大社へと走りました。ここにも杉で出来た世界遺産センターがありました。
その真向かいにある熊野本宮大社へは階段で登りますが両脇は奉納の旗が何百本lも立てられています。
熊野本宮大社は全国に3800からある熊野神社の総本山で中でも千葉県には280箇所からの熊野神社があり全国一多いとの説明には驚きました、千葉県のどこにあるのでしょう?身近なところにもあるはずです。

そんなことを思いながら今晩の宿は秘湯川湯温泉の川湯みどりやへとカーナビで走りました。川原に露天風呂はありましたがホテルや旅館も少なからずあり秘湯とは思えない温泉でした。