2014年4月23日水曜日

小豆島と淡路島 3日目 あわじ花さじき

 今日の最初は、宿から10kmぐらいのところにある「あわじ花さじき」です。
兵庫県が平成10年につくったこの新しい花の名所は広大な丘陵地帯を花が埋め尽くし、その先には明石海峡と大阪湾が広がっています。
入園料も駐車料も無料という今の時代めずらし運営です。
この時期、菜の花が終わりかけてはいるもののポピーも一杯でした。
夏にはサルビア、ブルーサルビア、クレオメ等の他ソバの花も咲くようです。
もちろん秋にはコスモスがこの丘陵全体を覆うような花カレンダーがパンフレットに示されていて年間を通して兵庫県民のみならず近隣からも訪れる人の憩いの場所になっているそうです。
2時間程のんびりと過ごしたあわじ花さじきですが、次の予定地国営明石海峡公園がもっときれいだとはこの時点ではまだ知りませんでした。


2014年4月22日火曜日

小豆島と淡路島の旅 2日目

お天気も良くなり寒霞渓(かんかけい)の見晴らしも期待できる2日目がスタートしました。
ホテルの敷地の端に、一日2回干潮で向こうの小さな島に渡れるエンジェルロードと呼ばれる砂の道が現れます。
今日の干潮時間に合わせてチェックアウト後現れた砂の道を島まで渡ってみました。
潮の満ち干が生む自然の変化が観光の目玉になっているこのような場所は五島列島にもあったように思いますがロマンティックで若い人達に人気です。
島に渡った後はもう一度寒霞渓です。
寒霞渓はメインルートは頂上に行って、そこから下へロープウエーで降りながら景色を見て又上がって来る方法ですが、下にも小さな乗り場があって少し駐車も出来乗車券も購入出来ます。
頂上に行くには距離もあるし道も狭いのが昨日の経験で分かったので今日は下の駅へ車を停めて上へ行く方法にしました。
春の新緑も素晴らしいですが、秋は紅葉の上を空中散歩するようなこのロープウエーは1時間は待たないと乗れないとか言われました。
今日は遠くに瀬戸内海も見え、ところどころに山つつじが咲くモミジの新緑と岸壁の間を上り5分間下り5分間という短い時間の空中散歩でしたが来た甲斐がありました。
そして次にカーナビニにセットしたのは中山という山の中の地区千枚田-中山の棚田です。
軽をレンタカーして良かったと思う集落内の細い道を上りたどりつきました。
今、田植えの準備に手押しの耕耘機で耕し水を入れ始めたところできれいな光景が楽しめるのはあと一週間ぐらい後でしょうか。
棚田でのコメ作りは大変な農作業でしょうが、それでも棚田のある風景は絵になります。
棚田の次は大阪城石垣建築で残った石垣用の石が何十個かある「道の駅大阪城残石記念公園」です。
ここ小豆島の石も沢山切り出されて大阪へ運ばれたそうですが、最後に運ばれずに残った石が記念に並べられていました。
 切り出した石を運んだ方法も再現されていて重機の無かった時代の知恵の片鱗を知ることも出来た道の駅でした。
この道の駅で小豆島の素麺ランチを食べてから予約してあるフェリーへ乗り込むべく土庄港まで走りました。

わずか2日の小豆島でしたが、観光の島らしくトイレはきれいだし道路の整備も進んでいるし、島全体が豊かであるように見受けられます。

フェリーで高松港に戻り高松中央ICから淡路島の北淡ICまで111km1時間半のドライブはまったく問題なく今夜の宿「かんぽの宿淡路島」に到着した2日目です。

2014年4月21日月曜日

小豆島と淡路島の旅

小豆島と淡路島の花を見ようと結婚記念日の今日、早朝のJetstar★で成田から高松空港まで飛んで来ました。
昨年12月に成田-高松線が開通して安く早く行けるようになった小豆島です。
Jetstarはなんと一人往復1万円でしたが燃料代がカバー出来るのか心配になる安さです。
予約しておいた軽自動車はスズキワゴンR平成25年製が用意されていて、40分程のドライブで間に合わないかなと思っていた9時55分の高松港発土庄行き小豆島急行フェリーに乗れました。
波もなく静かな瀬戸内海を1時間、土庄港では二十四の瞳の像が迎えてくれました。
先ずは第一目的の寒霞渓へとワゴンRのカーナビを設定して出発です。
でも....寒霞渓に近づくにつれ霧が深くなってライトを点灯しての山道ドライブは20mぐらいの視界しかなく、寒霞渓の頂上に着いたもののロープウエー乗車は諦め明日もう一度来ることにしました。
それではと、ランチだけ済ませて下山、次の予定地二十四の瞳映画村へと海沿いの道を走りました。
半世紀以上も昔に観た映画「二十四の瞳」ですが、先日デジタルリメイクの二十四の瞳もTVで見たばかりでした。映画村には昭和初期の村の様子が再現されていました。
映画セットの「岬の分教場」を見学した後、本当に使われていた「岬の分教場」も見学してきました。
木製の小さな机、椅子、黒板、素朴なオルガン....昔自分たちが学んだ小学校で使われていたのと同じで懐かしく小さな椅子に腰かけてみました。
あまりにも有名な壺井栄の二十四の瞳は小豆島の代名詞になっていて、観光立島の支えになっているように感じます。
この小豆島の醤油づくりも長い歴史がある産業だそうで、醤(ひしお)の郷(さと)でマルキン醤油記念館に立ち寄った後、日本のオリーブ発祥の地に造られている道の駅小豆島オリーブ公園に行きました。
小豆島はギリシャのミロス島と姉妹島提携をしていて友好のしるしとして真っ白なギリシャ風車も造られていました。
小豆島ではいたるところでオリーブが栽培されていましたが、このオリーブ公園にはオリーブ原木や昭和天皇お手播のオリーブ(実生ということです)が大きく育っていました。
今夜の宿小豆島国際ホテルにチェックイン出来たのは5時になろうとしていましたが陽はまだ高く関東との時差を感じた第一日目でした。

2014年4月19日土曜日

テニス復帰

久しぶりに二人ともテニスに復帰です。
旅行が間に入ったものの、カゼの引き直しのような状況が長く続いた3月4月でしたが、ようやくテニスに出かける元気になりました。
きっと今毎晩飲んでいるQPコーワゴールド錠の効果ではないかと思っています。
休んでいる間にコート側のケヤキもきれいな若葉で一杯になっていて、テニスコートの周囲は新緑の春の気配で溢れていました。
半袖ではまだ寒すぎるので、ユニクロのヒートテックの長袖の上に半袖シャツを重ね着して丁度いい気温でした。
広がった青空の下、久しぶりに打つテニスボールの感触はやはり気持ちよく、元気が戻って本当に良かったと思いながらプレー出来た復帰テニスでした。

2014年4月16日水曜日

孫のテニス

春休みで一人で遊びに来ていた孫が、我々二人のカゼで急きょパパに迎えに来てもらったのは4月5日でした。
今日は、3年生になりクラス替えと担任の先生も変わったことでどんな学校生活がスタートしているのか様子見に行ってきました。
今度の担任の先生は気に入ったようで「楽しいよ」という言葉に全てが込められているように感じ安心しました。
夕方から毎週通っているテニス教室に行くというので一緒に行って1時間見学していました。
水泳に毎週通っているスポーツ教室のテニス部門ですが室内2面のオムニコートがあり、今日は8名の子供たちが練習していました。
まだ小さい子供達なのでボールに親しむ程度ですが、我々がテニス出来るうちに早く一緒に出来るぐらいまで上達して欲しいと思いながら見学した1時間でした。


手術後3年

前立腺ガン手術から3月3日で3年経過しています。
カゼで体調を崩したことから3月は3年目の定期検査に行けず4月になってしまいましたが、今日その検査結果を聞きに行ってきました。
PSAの値は引き続き限りなくゼロに近く「手術後の経過としては理想的な状況です」と、大丈夫とは思っていてもうれしい担当医のコメントでした。
忘れもしない3月11日の東日本大震災の発生、そしてその後余震に揺れる病院のベッドで過ごした退院までの7日間.....。
あの記憶もだんだん遠くになりつつありますが、普通の生活が出来ていることの小さな幸せを感じる毎日です。


2014年4月14日月曜日

芝ザクラ

サクラの名所までは行けなかった今年のお花見ですが、家の前のソメイヨシノが今年も開花から花吹雪までたっぷり楽しませてくれました。
そして今、芝ザクラがきれいになりました。
高く成り過ぎたラベンダーを1本どかして芝ザクラが増えた我が家の庭です。
wifeによれば芝ザクラは植えても翌年にはダメになってしまったりで増やすのはなかなか難しいそうですが今きれいに庭に彩を添えてくれています。
散ってくるサクラの花びらで一時は一面覆われた芝ですが、日を追うごとに緑の芽が増えてきていますし、ヒメシャラも、カツラも、クロモジも....庭木の若葉が元気をくれるこの時期はここ周辺の森も新緑の濃淡が広がり田舎が最も美しい季節になります。
3月のインフルエンザらしきカゼ以来だらだらと続くカゼの症状もどうやら峠を越えたようで2人共体に生気が戻りつつあります。
来週末ぐらいはテニスにも復帰出来るのではないかと期待しながらブログを更新している今日月曜日です。


2014年4月13日日曜日

シジュウカラの抱卵

シジュウカラが抱卵しています。
カツラに取り付けた巣箱に出入りしているシジュウカラが確認出来るようになりました。
日毎に大きくなるカツラのハート型の葉ですがまだ部屋の中から巣箱も良く見えています。
どうやら2羽が交代で巣箱に入っているようなので既に卵を抱いているのかも知れません。
昨年は窓の下の鉢の置台の中に巣作りしたので、なんでこんないい巣箱を取り付けたのに使ってくれないのかと思いましたが、去年の秋、中に入ったところを目撃したのでもしかして今年はここに巣作りをするのではないかと期待していたものです。
メジロはほとんど来なくなったのでミカンを入れた籠も取り外したし、今はメジロを見る楽しみがシジュウカラに代わり、今年こそはなんとか巣立ちの瞬間も目撃したいとwifeと楽しみにしているシジュウカラです。


2014年4月9日水曜日

ガマズミの花

昨年4月5日にオオデマリを購入した時、同時に買ったガマズミが可愛い花をつけています。
wifeがその可愛らしい花が気に入って買ったわけですが、白とピンクの小さな花が集まってポッチャリした塊りになっています。
今、手元の花木の本で見たら、左ページがオオデマリ、右ページがこのガマズミになっていて偶然の組合せにに驚きました。
本の写真では白色でそんなに可愛い花のようには見えませんがwife曰く我が家のは園芸品種だとのことです。
今チューリップも庭のあちこちに咲いていて庭もきれいな時期になってきています。
芝生も急激に緑になりつつありその上にサクラの花びらが散ってきていてきれいです。
こんないい季節になりつつあるのに二人ともカゼがぐずぐずと長引いていてあまり元気はありません。
今日は栄養ドリンク剤を買ってきたり、友人に薦められたQPコーワゴールドを注文したり....
なんとか早く体調を整えたいと思いながら過ごしている2人です。


2014年4月5日土曜日

満開になりました

東京より一週間ぐらい遅くなりますが、家の前の公園のサクラが今年も満開になりまりました。
いつもは犬の散歩の人が多い緑道ですが、この時期サクラを見に散歩する人も増えます。
家の庭ではリキュウバイが同じく見ごろを迎えていてきれいです。
芝も緑の芽が出てきていますから、今月中旬には再び緑一色になってくれるでしょう。
そんな芝庭の中に雑草が一足早く育ち始めているので、今週は孫に手伝ってもらって草取りもしました。
最後までは続きませんでしたがそれでもかなりの草を取ってくれて助かりました。
自転車、ボール投げ、サッカーボール蹴り、バトミントン、お絵かき、将棋、ベーゴマ、トランプ、それに今回ミニ四駆という組み立て式の電池走行のおもちゃを買わされてその車の為のサーキットをダンボールで作ったり....遊びの天才と思うほど次から次と遊びを考えだします。
疲れではないでしょうが、昨日はジジババ共突然のカゼで扁桃腺が腫れたり、高熱が出たりでついに2人ともダウン。
3月に引いたカゼをだらだらと引きづっているような気もしますが、高齢化で体力が無くなっているのかも知れません。
SOSを出して、今日はひばりが丘からパパに来てもらい、連れて帰ってもらった週末土曜日です。
そんな訳で、明日のお花見テニス大会は2人とも欠場となりました。

2014年3月30日日曜日

母の生誕100年祭

今日は母の生誕100年祭が楽しく行われました。
大正3年(西暦1914年)3月25日生れの母は既に96歳で没してますが3月25日で生誕100年になったのを機に兄弟姉妹が顔を合わせました。
4人の兄弟姉妹と配偶者それに兄夫婦が留学生時代からめんどうをみているスリランカの若者と婚約者合計10名が長女の家に集まりました。
この日に合わせたようにベランダから手の届きそうなサクラは8分咲きで祝ってくれましたし、長女のご主人が趣味の領域をはるかに超えた手打ちうどんを準備してくれていて、さながらうどんパーティのような生誕100年祭でした。
長女のところの心配りでスリランカの国旗も用意されていてあの若者も美味しいうどん以上に嬉しかったに違いありません。
母も子供たちが元気でそれぞれ夫婦仲良く暮らしている様子を知りきっと満足しているだろうと思った母の生誕100年祭のつどいでした。


2014年3月29日土曜日

開花

家の前の公園のサクラが今日の温かさで開花しました。
まだ何本かの枝にチラホラある程度ですが、来週末には一気に満開になるでしょう。
沖縄のカンヒザクラでスタートする桜前線は最後5月北海道のオオヤマザクラやチシマザクラで終るまで全国津々浦々に感動の春をくれます。
四季折々素晴らしい自然が楽しめる日本ですが、その中でも春のサクラは開花から2分咲、5分咲、8分咲....満開そして最後の花吹雪とその段階ごとに楽しませてくれる素晴らしい花です。
一輪毎は可憐な花ですが、一斉に咲いた時、お寺も公園も堤も山も薄いピンクで覆われその美しさは万葉の昔から日本人の心の美しさになっているような気がします。
これからも毎年同じように咲いて欲しいし、同じように元気でサクラを楽しみたいものです。


2014年3月27日木曜日

もうすぐ地球3周

無事故無違反で116147km、今日までのVOXYの走行距離です。
夏タイヤの摩耗も進み交換時期サインが表れて来たので今日は新しいミシュランに入れ替えてきました。
前回交換したのが2008年3月で走行距離42462kmの時ですから交換後73685km走れたことになりますが、冬はスタッドレスに履き替えているので、一冬2000kmとしても6年で12000kmですからこれを引いても61685kmということはミシュランの耐摩耗性能は抜群という計算になり、今回もミシュランに入れ替えたわけです。
そしてあと4078km走ると120225km地球を3周することになります。
何気なく走っていますが購入後9年で地球3周になろうとしていることは驚きです。
ヒヤリの場面は何度かありましたが無事故無違反を続けていることは誇れることです。
これからも200000km地球5周をめざして無事故無違反で走ろうと気持ちを新たにしたタイヤ交換でした。



2014年3月26日水曜日

ベトナム・カンボジア世界遺産めぐり 5日目

ベトナム・カンボジアの世界遺産めぐりの旅も終わり今日はもう帰国です。
カンボジアのシェムリアップからベトナムのホーチミンへは飛行時間1時間の近距離。
飛行機はホーチミンで乗り換えですが、荷物は成田まで直行。昔は乗り継ぎがあると荷物が無くなることもありましたが、バーコードによる仕分けの機械化が進んだ現在その心配はほとんどなくなったのは大変ありがたいことです。
ホーチミンでは大勢の日本行きを待つベトナム人などに混じって1時間50分を待ちました。
ツアー24名中16名は昨夜そのままホーチミンでもう一泊して今日はホーチミンの市内観光をしていますが、8名は5日で切り上げて帰ってきました。
今回の旅行はツアーなのでいろんな人が来ていました。
お母さんをエスコートして来た大学生の男の子、この春高校生になる孫の男の子を連れてきたおじいちゃん、ハロン湾を見たいという80歳になる父親を連れて来た50歳台の息子等様々でしたが皆さん集合時間も守り、常識的行動の出来る人達ばかりだったので旅行中嫌な思いをすることもなくいい旅が出来ました。
ベトナム航空の成田着は朝の7時45分、予定通りの飛行でしたが狭いエコノミーの座席では寝ることは出来ず不眠に近い状態での帰国はつらいものがありますが、空港へは義姉が迎えに来てくれていて20分後に自宅に戻れたのはありがたいことです。
今回往復で4回乗ったブルー一色のベトナム航空ですが、家に帰ったら、ベトナム航空の乗務員がユニクロで盗んだダウンジャケットを持ち込んでいたとの報道があってりして....ベトナムのあの青々と広がる田園風景などの思い出に水をかけられたような気分の帰国第一日でした。

2014年3月25日火曜日

ベトナム・カンボジア世界遺産めぐり 4日目

8時半ホテル出発、今日は世界遺産バンテアイ・スレイと世界遺産ロリュオス遺跡観光です。
シェムリアップの中心から約37kmバスで1時間ほど揺られての観光ですが、途中世界遺産に登録されてから商売するようになったような小さな出店が続いている村を通ったりしながらバスは走りました。
今日の遺跡観光もアンコールワットで発行してもらたパスを見せての入場です。
こちらの遺跡群は規模も小さく、すでに日本やフランスの修復作業は終わっていてカンボジアに引き継がれているそうですが、見たところどうも進行状況はあまり良くないように感じました。
遺跡内の掃除担当でしょうか木陰で休憩をしていました。
遺跡は崩れた石を拾い集めて修復するわけですが、既に同じ石は無いところが多く、同じ石がある隣国タイとは仲が良くないので石がもらえないとか....そう言えば以前タイとカンボジア国境にある遺跡をめぐって遺跡の所有紛争があったのを思い出します。
午後は3時から6時まで初めて自由時間があったのでシェムリアップの中心街?へ歩いて出てみました。
歩いているとバイクの女性警察官が写真を撮らせてくれました。町の中のお店でもホテルでも外国人の支払いは全てUSドルが主体で価格表示もドル表示です。
インターネットの普及がどの程度かは分かりませんが泊まったホテルでは無料のWiFiが使えましたし、街中には30分50セントと表示があるインターネットが使える店も見かけました。
街中からトウクトウクというバイクが引っ張るリアカーに乗ってホテルまで帰ってきましたが、値段を聞いたら2ドルだというので1ドルにと値切ったら乗らなくていいと態度で示されたので2ドル現金で前払いして乗ってきました。
信号も少なく交差点など怖かったですが、そういえばガイドさんが治安はいいが交通事故は多いから気を付けてと言ってたのを思い出しました。
ポルポト政権による悲惨な時代が1975年~1979年まで続き、その後内戦があり実質的に2000年まで混乱の時代が続いたカンボジアですが、今カンボジア王国として世界遺産などの観光資源をもとに国造りが急ピッチで進んでいるのを感じました。
午後6時首都プノンペンに次いでカンボジア第二の都市シェムリアップの空港で日本へは行ったことないけど日本語上手なカンボジア人ガイドと別れ、ベトナムのホーチミン乗換で帰国の途についた4日目でした。

2014年3月24日月曜日

ベトナム・カンボジア世界遺産めぐり 3日目

今朝は5時15分ホテルを出発、アンコールワットの日の出鑑賞です。
入場券売り場で一人づつ写真撮影があって顔写真入りのパスが発行されます。なんと3日間有効のパスがUS$40です。
このパスでカンボジアのシェムリアップ内各所にあるアンコール遺跡群鑑賞も有効でした。
今日の日の出は6時20分、アンコールワットの日の出を見ようと続々と集まる様々な国の人が見守る中アンコールワットの後ろから日が上り始めると寺院のシルエットが浮かび上がり手前の池にその姿が映る景色を見ることが出来ました。
7時にはホテルに戻って朝食、又8時半には次の世界遺産アンコールトム観光に出発という忙しいスケジュールです。
アンコールトムでは南大門、バイヨン寺院、バプーオン、ライ王のテラス、象のテラスを鑑賞後ホテルへ戻ってクメール料理でのランチ。
午後はもう一度アンコールワットへ戻り今度は内部をめぐる2時間の観光でした。
気温は35度を超え汗がしたたる暑さの中、遺跡の石は熱を帯びていてさらに暑く感じました。
1992年世界遺産に登録されたアンコールワットは12世紀前半にヒンドウー教寺院として建てられたそうですが、第一回廊や第三回廊など50mからのヒンドウー教の神話の壁画は見ごたえあります。
神話の内容をガイドさんが一生懸命説明してくれましたが、神話はともかくその石の壁に彫られた彫刻壁画の素晴らしさが印象に残りました。
アンコールワットの遺跡修復には、フランスと日本が資金と技術で大きな役割を果たしたそうで(今も継続している)世界遺産であることを示す石碑には日本語とフランス語も併記されていました。

夕食は大きなホールに机のように並べられたテーブルとイスで、宮廷舞踊「アプサラダンス」という踊りを鑑賞しながらのディナーショー?でした。
ホテルに戻れたのは9時、朝は早く夜は遅く、暑さもあって過酷スケジュールのツアー3日目でした。


2014年3月23日日曜日

ベトナム・カンボジア世界遺産めぐり 2日目

 今日はモーニングコールが6時、7時半にはホテルを出発です。
帰りハノイ空港までの間,雨で渋滞が予測されるので30分早められての出発でした。
クルーズはチャーター船でしたが30分早めた事が原因でしょう出航まで手間取り20分ぐらい待たされましたが、乗り場にあったハロン湾の模型で全景など事前学習が出来ました。
石灰岩の台地が何万年かかかって沈降を繰り返し海になり大小1600ぐらいの島が出来たそうで1994年に世界自然遺産に登録されています。
クルーズ船が出航する湾には大小様々なクルーズ船が数えきれないほど浮かんでいます。
今日はあいにく時折霧雨が降る曇り空、気温は15,6度でしょうか肌寒いハロン湾クルーズになりました。
晴れていればもっときれいなハロン湾が見られたと思いますが、こればかりはどうにもなりません。
3時間のクルーズの間に島の一つにある大きなティエンクン鍾乳洞にも入りました。
内部がライトアップされているのですが、ライティングを工夫すればもっと自然のままの素晴らしい鍾乳洞が見れたと思いますが、それにしてもその大きさたるや今まで見たことがない大きさでした。
ハロン湾に昔から住んでいる水上生活者が、世界遺産に登録されてから急増した観光客を対象にボートハウスを拡大して生簀をつくり魚の養殖を盛んに行っていました。
このハウスにクルーズ船が横付けして観光客が乗り移り、生簀の魚や貝をあれこれ購入してクルーズ船に持ち帰ると、無料で調理してくれクル-ズのランチに追加してサービスしてくれます。
クルーズに含まれているランチにはハロン湾のエビも出てきましたがこれが大変美味しかったです。
3時間のクルーズを終えてツアーのバスは元来た道をハノイ空港へと戻りました。
田んぼには稲が青々と育ち、ところどころにやせた牛が放牧されているのどかな風景が広がります。

社会主義でもありベトナムでは、農地も宅地も土地は全て個人所有は出来ず、借地権か使用権を買うことになるそうです。
中国と一緒です。
地震がないので、家は3階建が多く1Fはバイクの駐車場所と台所に食堂、そして2世代から3世代が同居するのが標準的で老人ホームは無いとベトナム人のガイドさんの説明でした。
子供は2人までで3人目は罰金だとか....。
ハノイからアンコールワットのあるカンボジアのシェムリアップへベトナム航空で1時間40分の飛行、昼間の熱気がまだ残る真っ暗な空港へ到着したのはすでに夜7時を過ぎていました。




2014年3月22日土曜日

ベトナム・カンボジア世界遺産めぐり 1日目


JTBのツアー「ハロン湾とアンコールワット世界遺産めぐり」に長女含め3人で参加して今日初日はベトナムのハノイへやってきました。
成田からベトナム航空で飛ぶこと6時間半、Airbusの機体はそこそこ新しく20年ぐらい前にホーチミンーハノイ間で乗った旧ソ連製のエアコンが壊れていたオンボロ機体とは雲泥の差でした。
ハノイに着くと出口にはJTBの現地ガイドが迎えに来ていて早速きれいな専用バスで市内へと案内されました。
ツアーおきまりの土産物店へ寄った後、永久保存処置をされたホー・チ・ミンの遺体が安置されているホー・チ・ミン廟を車窓見学です。
今はどうかわかりませんが昔はカメラはもちろん預け、おしゃべりしてもいけないとそれはそれは厳しい規制がされた見学だったのを思い出します。
市内の観光ポイントはヨーロッパ、中国、韓国など外国人も多く活気にあふれています。
バイクもホンダ、スズキやヤマハなどきれいな車体が多くなったのと規制が厳しくなったのか、生活が豊かになってきたのか4人乗りはたまに見かける程度でめっきり減っていたのと、バイクの波に混じってかなり乗用車が増えてきているのを感じました。
バスを降りて旧市街の散策もしましたが、様々な店が道路にはみ出し人人人の中をかき分けて歩く散策です。
24名が連なって歩くことはとても出来ず迷子にならないように歩くのが大変でした。
旧市街のいたるところで電気や電話線が、どれがどれだか判別出来ないだとうと思われる状態で電柱にくくりつけられています。
 1986年にドイモイ政策で市場経済の導入と対外市場開放がされてからようやく発展してきたベトナムですが共産党一党支配が続く限りこの先発展にも限度がありそうな気がします。
そんなことを思いながら、明日のハロン湾クルーズの為にハロンまでの180km3時間半バスに揺られて今日の宿「NOVOTEL HALONG BAY」に着いたのはかれこれ22時になる頃でした。






2014年3月17日月曜日

春もうすぐ

 
 インフルエンザはイナビル効果で悪化せずに万々歳と思いきや、9日日曜日夕方から又発熱、月曜日にクリニックを再訪したところ、インフルエンザで体力が落ちたところへカゼを引き込んだとか言われ、気管支炎を直す抗生物質などが投与されました。
3日経っても回復せず、木曜日にもう一度クリニックへ。
レントゲン写真検査結果、肺炎にはなってないと言われて一安心。
肺炎予防としての点滴と薬もさらに強い抗生剤が処方されました。
安静を続けた結果ようやく土曜日から平熱に戻り、今日は庭に出て春らしき日差しを浴びて花の写真を撮る余裕が出るところまで回復しました。
今スイセンも満開、クロッカスも黄色は早々と鳥に(多分ヒヨドリでしょう)食べられてしまいましたが紫がきれいに咲いてくれています。
クリスマスローズも満開ですが、でもどうしたわけか、今年は庭の地植え分はどこもそろって元気がありません。
鉢の分はどれも見事に咲いてクリスマスローズのオンパレードできれいです。
 気温も少しづつ上がりwifeが庭にいる時間も比例して長くなりつつある春もうすぐの我が家です。

2014年3月7日金曜日

イナビル

あちこち梅が満開というのにこの寒さ、寒さのせいではないですが4日の夕方から突然寒気が始まりました。
夕食後大正製薬のパブロンSゴールド錠を服用して7時半には寝ましたが、夜には38.8度の熱と体があちこち痛み始めました。
このところずっと元気に過ごしてきたのにここへきてダウンです。
翌日水曜日は近くの行きつけのクリニックが休診日だったのもあって昨日6日診察に行きました。
インフルエンザ検査の結果は陰性でしたが、突然の高熱、全身の痛み、寒気、だるさという症状からはインフルエンザと診断出来ると言われ、イナビルという吸入型の薬が処方されました。
1回だけ2個を吸入するのですが効果絶大で夕方には平熱に下がりました。
まだ右肩甲骨周辺に痛みは少し残っていますが、悪化する前にイナビル効果で元気が戻ってきつつある今日金曜日です。
インフルエンザの薬は、良く知られたタミフルやあまり聞いたことのないリレンザ、ラピアクタなど3種類あるそうですが、4番目になるこのイナビルは2010年10月に第一三共から発売された吸入型のインフルエンザの薬で昨年末には予防効果も発表されたとか。
予防と言えば昨年11月25日にインフルエンザ予防接種はしているのに...予防接種していたからこの程度で済んだと思うことにしてる今回のインフルエンザです。