ラベル スキー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル スキー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年12月5日月曜日

W杯ジャンプ女子

BS-1のTV画面を撮影
今年もW杯ジャンプ女子が始まりました。

3日土曜日にノルウエーのリレハンメルで始まった第1戦では日本の高梨沙羅が95mと99.5mを飛んで優勝。

昨日4日日曜日の第2戦でも95.5mと98mを飛んで連勝を飾りました。

テニスも終わり、野球も終わり、ゴルフも終わったこの時期に始まるW杯ジャンプTV観戦は二人の楽しみの一つです。

札幌宮の森で高梨沙羅のジャンプを観戦したのは2014年ですが、あの時もダントツに強かった高梨沙羅選手がさらに強さを増しているだけでなく、今年はもう一人日本の女子伊藤有希が強くなり、第一戦、第二戦とも2位に入り、1-2フィニッシュとなった素晴らしいスタートが実現しました。

W杯は来年1月に札幌で2戦、蔵王で2戦が行われます。蔵王のジャンプ台は10月に見てきたばかりですが、あのジャンプ台で又素晴らしい飛びを見せて欲しいものです。

あの小さな体で100m近く空中を飛ぶこと自体驚きですが、その飛行姿勢のきれいさも目を見張るものがあります。

再来年には冬季オリンピックもあるので4年前のソチの雪辱に燃えていることでしょう。

2015年3月10日火曜日

スキーの思い出

スキー引退を決めたばかりだからか、過去のスキーの思い出が走馬燈のように頭の中を巡っています。

友人S氏が所属していた東京都スキー連盟傘下の「ときスキークラブ」という発足間もないクラブが主催する福島の高湯スキー場でのスキースクールに参加したのがスキーを始めたきっかけでした。

月山でのスキー
その後直ぐこのクラブに入れてもらい、ほとんど毎週ぐらいにこのクラブが活動場所にしていた上越の石打後楽園というスキー場(今の舞子スノーリゾート)に行ってクラブの指導員や上級者から教えてもらっていました。

5月の連休、当時リフトもない月山へ登っての山スキーも、6月に谷川岳マチガ沢の雪渓でのスキーも、若かったから出来たようなスキーも随分経験しました。

V社の仲間と蔵王で
蔵王でのバッチテストで憧れの白いバッチをもらえたこと、クラブ主催のスキースクールで初心者クラスの先生をしたこと.....等 限りない思い出があとからあとから湧き出てきます。

アメリカでは、当時駐在していた人達とバーモント州とカナダの国境沿いにあったKillingtonまで行って極寒のスキーもしました。

wifeと滑ったスキーも数多く、新婚旅行で行った北海道ニセコでのスキーも忘れられない思い出です。
スキー宅急便が無かったあの頃、スキーを倶知安の駅留めで送ってのスキーでした。

冬は何時も真黒な顔で上司からは「又スキー休暇か!」と叱られながらも冬に全ての有給休暇を取得していた時期もありました。 これも若かった頃の貴重な思い出です。

転倒の記憶も数知れず、急斜面を10数メートル転げ落ちた事は何度もありますが、幸いケガは一度も無かったのに、その分最後大ケガでの引退となりました。

仲人をしてくれた今は亡きクラブの指導員はじめ、何時もいいスキー先輩や仲間に恵まれたスキーをしてきましたが、自分にとっては単なるスポーツを超えた人生と重なる部分もあるような気もします。

スキー引退宣言したからか、感傷的な思い出になってますが、あの白銀の世界と共にあるスキーの思い出は、これからも元気の元になってくれる事でしょう。

2015年3月6日金曜日

脳異常なしでした

脳に障害の形跡はありませんでした。

wifeに運転してもらって、紹介された日本医大千葉北総病院の脳神経外科へ行って来ました。
医師曰く、「転倒した時のショックで転倒前後の記憶が消えたのです」。

これは佐倉整形外科病院の医師も言ったことで、自分としては、あんな緩斜面であんな激しい転倒はしないと思うので、いまいち納得出来ないのですが 「そうなんだ」 と思うことにしました。

今まで通りの生活をしてまったく問題ないという事で、 MRIの画像を見せられながら説明を受けました。

付録として、脳の状態が年齢よりもはるかに若々しいと褒められて、単純ですから、ついうれしくなって気分良く帰って来ました。

あとは肋骨がくっつくのをひたすら待つしかありませんが、かさぶたも徐々にとれて顔の腫れも引いてきたし、胸の痛みが少し残ってはいますがあと一か月半の我慢でしょう。

でもスキー引退の決意は変わりません。

2015年3月1日日曜日

スキー引退

2015年3月1日、長年楽しんできたスキーですが引退することにしました。

仲間はまだ一緒に滑ろうと言うかも知れませんが、もし同じような事故が再発したら次回はこの程度では済まないかも知れず、神様が引退を薦めたと受け止めることにしました。

今週金曜日に紹介状を持って成田赤十字病院の脳神経外科で脳の精密検査を予定してますが、脳は90%異常なしの結果になるだろうとは思います。(もしかして認知機能の異常が発見されたりしたらそれも問題ですが)

どんな状態で起こった意識障害なのか、どんな原因だったのかがある程度分かるとも思えず、まして、これから再発しない方法などが示されるとは考えにくく、やはりこの先スキーをするには大いに不安が残ります。

スキーをやめたら残りの人生何の楽しみも残ってない訳でもないし、遅かれ早かれ出来なくなる時期は直ぐ目の前だし....やはりこれが引退のタイミングだろうと思います。

あの粉雪を舞い上げてターンする爽快感、急斜面をなんとか滑り降りた時の達成感......スキーの醍醐味はいろいろですが、自分なりに十分楽しみました。

若かりし頃、私に初めてスキーの楽しさを教えてくれた友人Sさんに心からの感謝を捧げます。

2015年2月28日土曜日

肋骨3本折れ

肋骨が3本折れていました。

昨日、川越からは自力で運転して帰りましたが、今朝はwifeに運転してもらって、2008年3月に右手中指の腱鞘炎手術をした佐倉整形外科病院まで連れて行ってもらいました。

胸と顔と右手のX線撮影、脳のCTスキャンをしての結果は、肋骨が3本折れた画像を見せられてショックでした。

顔や右手も骨はOK、脳も異常はないとのことですが精密検査をしたければ紹介状を書きますと言うのでお願いし来週成田赤十字病院の脳神経外科へ行く予定です。

肋骨部分が痛いのは激しく打った打撲だとばかり思っていたのが、3本も肋骨が折れている画像を見て急に痛みが増したような気分です。

緩斜面ですから、高速での滑りではないにしても、滑りながら急に意識が無くなってパッタリとスキーの上に倒れたとしか考えられない出来事なのです。

どうしてこんな事が起こったのか脳神経科で納得いく説明が受けられるのか分かりませんが、wifeに言われて記録を見たら、2000年2月12日に以前住んでいたS市のスキー仲間6人で福島のアルツ磐梯へ行った時に、友人の奥さんがやはりゲレンデでパッタリ倒れ意識が無くスノボートで救護室まで降ろし、救急車で会津若松の病院へ運んで検査してもらったことがありました。

その時も検査結果は異常なしでした。 たまたまゲレンデで立ち止まっていた時だったので自分のように派手なケガはしなかったので夫人はラッキーでした。

昨日からソフトな固定帯で胸部分を固定していますが、骨がくっついて正常に戻るまで一か月はかかるでしょう。

椅子から立ち上がる時、ベッドから起き上がる時、寝返りを打つ時など体に力が掛かる動作はしばらく辛いのが続くでしょうが、命があって家で生活出来るだけでもラッキーと思うことにしています。


2015年2月27日金曜日

早帰りの志賀高原

仲間4人を送り出してロビーで新聞見たり,iPodをWi-Fiで操作してニュースを見たりしながら早帰りするという仲間を待ちました。

初日夜降った雪で昨日も今日もどのコースも良かったそうでまったく残念な今回のスキーです。

11時半頃戻ってきた仲間とランチをして川越へ向かって出発したのは12時半でした。

川越まで仲間がVOXYを運転してくれたので助手席でゆっくりと休みながらの帰路でしたが、予定の1/3しか滑らなかったので心地よい疲労感もなく、胸の痛みがあるだけのなんとも情けない志賀高原スキーの帰りでした。

2015年2月26日木曜日

意識不明転倒

何が起こったのかまったく意識がないままホテルへ戻っていました。

朝一番は、一の瀬ファミリーで足慣らしを一本滑るのが何時も我々のスタートになっています。

高速クワッドで上へ、上部の斜度がそこそこある急な斜面を滑り、緩斜面まで来たところで、スキースクール生が6,7人並んでレッスンを受けているのを見て離れたところを滑って来たところまでは記憶がしっかりしています。

その後何んとなく記憶がうっすらとあるのは、ゲレンデ下にある救護所の中で顔の血をガーゼで拭いてもらったことです。
なんで自分が救護所にいるのかまった認識出来ないままでした。

救護所を出て少し雪の上を歩いたのでしょう、ホテルのスキーロッカーにスキーを入れブーツを脱いだ頃からはようやく意識がしっかりしてきて、フロントへ行ってルームキーを貰って部屋へ戻りました。
サングラスはレンズが外れていてスキーウェアーのポケットに入っていました。

鏡を見ると、なんとも激しく真っ赤になって腫れているのは左目の周囲、目はほとんど見えないくらい腫れています。
右の耳、右の頬、右あごの下も出血して腫れています、まるでお化けのような顔面です。
そして痛いのは左胸の肋骨、右手の親指....

普通滑っていて転ぶ時は分かりますが、今回転びそうになった記憶も、転んだ記憶もまったくないのです。
それにこれだけ激しく顔面や胸を打ってるのに痛みの記憶もなく....、緩斜面でこんなひどい転び方をする初心者でもないし、滑走しながら突然意識不明になって転倒したとしか考えられない出来事が起こっていたのです。

後で仲間の一人に聞くと、突然倒れて動かなかったので声をかけたが返事もなかったそうです。
抱きかかえて起し、スキーそろえて履かせボーゲンで救護所まで連れて行ってくれたようです。
サングラスのレンズが雪の上にあったのでポケットに入れて....など。

当時の事を説明してくれましたが全てがまったく記憶にありません。

朝一番の滑りだったので、一日中部屋で痛い胸をさすりながらTV見て待っていた2日目の志賀高原でした。

2015年2月25日水曜日

今年も志賀高原

今年も志賀高原へやって来れました。

川越ICから4kmのF氏宅へ集合、関越自動車道を5人乗せたVOXYは快調に走り始めたのも束の間、花園IC手前で発生した事故情報が入ってきた直ぐノロノロになってしまいました。

1時間ほどした頃、3車線の真ん中に横倒しになっている1boxカーを過ぎるとようやく事故渋滞を抜け出せました。

志賀高原一の瀬ファミリーの高速クワッドに乗れたのは12時、ようやく志賀高原でのスキーが始まりました。
滑り始めて直ぐ分ったのは気温が高く春スキーのような状態だということです。

焼額の第一ゴンドラを降りた山頂2000mでも+2度の高温!! 粉雪どころか春のザラメ雪に近い状態でいたるところ雪だまりが出来ていて快適には程遠いゲレンデが広がっていました。
それでも奥志賀高原へ移動すると上部はまあまあの状態でダウンヒルコースも楽しめました。


奥志賀から一の瀬へ戻る途中北アルプス方向に雲海が出来ていました。
大勢のスキーヤーが足を止めて見とれていましたが、何回も志賀高原に来ていますが初めての雲海でした。

ホテルへ戻ると浴室は中国人でいっぱいです。これも初めての事、そして食堂は中國人やオーストラリア人など6割が外国人、日本人のグループ名が置かれているテーブルは少なく外国に来ている?ような気分の夕食でした。

一年振りの志賀高原スキーを楽しんだ初日でしたが、翌日まさかこんな出来事が待っているなんて思いもせずに眠りについたのです。

2015年2月4日水曜日

ガーラ湯沢スキー場

昨日泊まった「越後湯沢温泉さくら亭」は、源泉かけ流しの露天風呂もあってスキーで疲れた体にはいい宿でした。

今日は、ホテルから近くのガーラ湯沢スキー場へやってきました。

流石、新幹線とつながっているだけあって平日にも関わらずかなりの人が滑っています。

驚いたのは、ここにも中国の波が押し寄せていたことです。
スキー場の滑走上の注意などを放送するスピーカーからは中国語も流れていました。

昨夜のホテルでも、上海から来たという小学生2名を含む6名のファミリーがいたし、ゲレンデでもスキーのレッスンを受けている中國人がいるなど、96年、98年に来たことのあるあの当時のガーラ湯沢とは様変わりしていました。

今日は快晴で気分よく滑れましたが、滑走距離がもう少し長いといいなと思えるゲレンデでした。

種子島・屋久島の旅から帰って直ぐのスキーだったからか、体力の衰えからか、昨日今日疲れを感じる初すべりのスキーでした。

2015年2月3日火曜日

かぐら・みつまた・田代スキー場

今年初めてのスキーに上越のかぐら・みつまた・田代スキー場へとやってきました。

造園科仲間の友人、一昨年2度志賀高原へ行ったことがある川越IC近くに住む人と二人でのスキーです。

チェーン規制で谷川PAに誘導されタイヤのチェックを受けて又本線へ戻るなどしながら湯沢ICで降りました。

このスキー場は昔95年、96年、98年と3回来たことがありますが、スケールが大きくエリアの広さはちょっと日本離れしたスキー場です。

今日は雪が少し降っていて気温は低く-7度、リフトに乗っていても寒さで手が凍えるようでした。
コースも閉鎖や圧雪してないところが多く、あまりいいコンディションのスキーではありませんでした。

一緒に行った人が、コースを外れて深い新雪に突っ込んでどうにも出られなくなったり、リフトからストックを落して、落したところがコース外で、しかも非圧雪の急斜面を行かないと拾えないところだったりのハプニングもあったりで二人ともかなり疲れた初スキーになりました。

雪崩でなくても、深い雪に突っ込むと、体を起こすにも、スキーを外すにも、スキーを履くにも、支えがないのでどうにもやっかいなのです。

そんな楽しむには少々難儀な初日のスキーでした。

2014年2月28日金曜日

志賀高原スキー3日目


志賀高原スキー3日目。
朝、部屋の窓からゲレンデを見ると一面ミルクを流したようなモヤがかかっていて何も見えません。
今日はダメか....4人でがっかりしながら朝食会場へ。
それでもだんだん少しづつ見えるようになってきたので8時半にはゲレンデへ出ました。
リフトで上がると上部はガスの中、滑っても10m先が良く見えませんし、サイドの境界線も分からす、カリカリいう音だけが聞こえる中とても不安な滑りでした。
焼額へ行っても第二ゴンドラも第一ゴンドラも上部は10mぐらい先がかろうじて分かる程度とあっては中間から下で滑るしかありません。最終日も奥志賀高原へと期待していただけに皆がっかりでした。
スキーに来て雨も困りますがガスがかかって見えないのも困ります。
それでもホテルへ1時に戻るまで滑ってきた3日目というか最終日の志賀高原でした。

2014年2月27日木曜日

志賀高原スキー2日目

 志賀高原スキー2日目、今まで毎年来ていて知らなかった一の瀬神社へ初めてのお参りです。
2月も末とあって、神社の小さな社は雪の下に埋もれ影も形の見えませんが鳥居につけられたしめ縄をスキーをはいたまま這うように腰をかがめてなんとかくぐれました。
これからも毎年皆でスキーに来られますように....
ケガなく滑って帰れますように....
入院中の仲間が早く良くなりますように....
山の神様にお祈りしてゲレンデまでスキー横歩きで戻りましたが、この神社で年2回6月と何月かにお祭りがあるそうです。
この雪に埋もれた鳥居を見てはお祭り風景を想像するのはとても難しいです。
今日は、一の瀬を2本滑ってから高天原へ、高天ヶ原のコブ斜面はもちろん行きません。
高天ヶ原は3本滑って道路を渡り西舘へ、西舘を滑ってからジャイアントへ。
2人を待たせてジャイアントを滑りましたが、昔のようなコブは無いので楽ですがペアーリフトが遅いので1本だけにして発哺ブナ平へ。
発哺ブナ平2本滑ってから次は年代物の東館山ゴンドラに乗り山頂へ行きました。
東館山オリンピックコースは皆が滑らないというのであきらめてそのまま寺小屋へ移動し2本滑り一の瀬へ戻りましたがオジサンたちスキーとしては滑りまくった午前中のスキーでした。
午後は焼額、焼額の第二ゴンドラも第一ゴンドラも強風の為運転中止となっていて雪も悪くなった午後早めにホテルへ戻った2日目の志賀高原でした。


2014年2月26日水曜日

志賀高原スキー

 今年も志賀高原スキーが実現しました。
昨年から一緒に行くようになった川越IC近くにお住いの方が入院で参加出来なかったのは残念ですが、皆さんの車だけは停めさせてもらいそこから4人で出発出来ました。
先日の大雪の影響がまだ残っていて、上信越自動車道では碓氷軽井沢近くになったら除雪作業の為一車線規制になっていました。
それでも志賀高原までの山道は雪もなくスキーのワクワク感は味わえませんでした。
今年も宿はホテルホウルス志賀高原、ここもシルバー料金が設定されている日を選んであるし、リフトもシルバー3日券、年金暮らしにはうれしいシルバースキーです。
ポジショニングの確認をしながら足慣らしに一の瀬を2本滑ってダイヤモンド、山の神を経由して焼額へ、焼額でジャイアントスラロームとオリンピックコースを滑ったあと皆が好きな奥志賀高原へと滑り込みました。
今だスノーボーダー禁止のゲレンデですが、冬のオリンピックでスノーボードが好成績で脚光を浴びたこともあってこの先いつまでスキーヤーオンリーを貫き通せるのかは心配です。
空は青く晴れて広がり、風もなく、雪温も低く快適この上ないスキーは午後4時まで、元気な4人の志賀高原初日のスキーでした。




2014年2月12日水曜日

丸沼高原スキー

早起きして丸沼高原へスキーに行って来ました。
ウェザーニュースのスキー場天気予報を毎日見ながら晴れる日を待っていましたが、ようやくお日様マークのついた日が今日12日でした。
沼田からの国道120号線は山越えすると戦場ヶ原や中禅寺湖など日光へ出られる道ですが、冬場は金精峠手前の丸沼高原スキー場以降は閉鎖されます。
昨年でしょうか、老神温泉の手前に椎坂利根トンネルが開通して椎坂峠越えをしなくても良くなったので10分ぐらいは短縮された丸沼高原スキー場ですが、それでも沼田インター降りて1時間余かかります。
土曜日あんなに降ったはずなのに国道だから除雪作業が完璧なのかまったく雪はなく、せっかく新調したスタッドレスも4輪駆動も役に立ちませんでした。
雪道ドライブは緊張するので特に好きではありませんが、スキーに来たのに雪道を走らないのも淋しいものです。
スキー場の積雪は先週より40cm増えて250cm、シニア一日券を買って早速ゴンドラで標高2000mまで、この地点からは日光白根山標高2578mが正面にくっきりと見えます。
今日は地元の小学生のスキー大会も開催されていてゼッケンとヘルメット姿で回転競技を頑張っていました。
中間地点にあるレストランでは北側に連日の寒さが想像出来る大きなつららが出来ていました。ランチまで休憩なしで何本滑ったでしょうか、1人スキーはついつい休憩なしで滑ってしまうので良くないようです。
午後は2時近くになって早々と腿に張りを感じてきて潮時と思い止めましたが、年相応の優雅な滑りを目指さないと今年あたりケガもしかねないと思った往復512kmの日帰り丸沼高原スキーでした。

2014年2月2日日曜日

iPod touchでソチをフォロー

JOCのHPから
JOCのHPから
いよいよ6日からロシアのソチで冬季オリンピックが始まります。
もちろんテレビ録画での観戦ですが、iPod touchでもフォロー出来るように無料Appをダウンロードして準備しました。
ソチオリンピックの種目別日程から結果までタップするだけで直ぐに見ることが出来ます。
NHKオンラインの写真から
それに、コグクロの小渕健太郎作詞作曲によるNHKソチオリンピックテーマソング「今、咲き誇る花たちよ」もiTunesから購入したのでいつでもこの軽快なテーマソングも聞くことが出来るようになりました。
そして、大きな期待がかかる女子ジャンプの高梨沙羅選手は昨日ワールドカップで今季9勝目を飾り弾みをつけています。
がんばれ日本の選手たち!!!




2014年1月20日月曜日

初滑り

今年の初滑りが出来ました。
昨日は吹雪いていたというたんばらスキーパークですが、今日は快晴のスキー日和。
スキー場までの山道は、路面凍結もないきれいな雪道、凍結した路面の怖さは志賀高原でも経験しているので、今回4本新調したスタッドレスの性能テストにはなりませんでした。
でも新品のスタッドレスはやはり雪道の感触も良く安心ドライブでガラガラの駐車場まで登ることが出来ました。
今日は7年振りに教えることになった長女とのスキーですが、どの斜面もきれいに圧雪されていて、おまけに人もまばらとあって快適この上ない滑走が楽しめました。
ブナの木を横に見ながら上る高速リフトは一本だけ、あとは全てのんびり動くリフトだけという小さなスキー場ですが、最上部からはたんばらダム湖も見える景観と、雪質も良くしかも都心からも近いという東急おすすめのスキー場です。
足慣らしも兼ねたスキーでしたが、まだまだ滑れるという自信も持てた初滑りでした。

2014年1月11日土曜日

ジャンプ女子ワールドカップ

高梨沙羅が見事なビッグジャンプで優勝!
今朝はいろいろ寒さ対策をして二人で、地下鉄南北線大通りで東西線に乗り換え円山公園駅からはバスに乗って宮の森までやってきました。
ここ宮の森ジャンプ競技場は1972年の札幌冬季オリンピックで3本の日の丸が掲揚された記念すべき競技場です。
高梨沙羅の2回目ジャンプ
会場で配られた応援旗
昨日から日本全国が覆われている大寒波で、ここも気温-7.6度、雪温-7.7度の中一日目のジャンプが行われ ました。
表彰式
なんといっても今シーズンのワールドカップ5戦中すでに4勝し、来月始まるソチオリンピックの日本人金メダル最有力候補の北海道出身17歳高梨沙羅選手のジャンプを見るのが目的ではるばる千葉からやってきた訳ですから、寒いのと立ちっぱなしなで足腰が疲れるのを我慢して1時半ごろまで観戦しました。 
高低差100m、K点90mのこのジャンプ競技場で小柄な高梨沙羅選手が空中を大きく飛んでくるきれいな飛行姿勢は感動的でした。
1回目は50人、2回目は上位から30人に限られたこのジャンプですが、高梨のコーチは2回目はスタート台を1段階下げて助走距離を短くし飛び過ぎによるケガの危険性を回避したと解説があったぐらい他の選手を引き離してダントツの1位でした。
昨シーズンはこの地元の大会で不調だったこともあって今年は本人も万全の体調で臨んだことでしょう。
あの小さな体のどこからあのビッグジャンプが飛び出すのか、まだあどけない表情を残す17歳の少女はソチでもきっと大きなジャンプを飛んで日本に金メダルを届けてくれるに違いありません。






2014年1月10日金曜日

ジェットスター

明日から札幌市宮の森ジャンプ競技場で開催される「スキージャンプワールドカップ女子」の観戦に2人で成田空港を12時40分に飛び立ちました。
ジェットスターは初めてですが、定時運行にかなり努力している様子が離陸までの随所で感じられました。
約1時間40分の飛行後新千歳空港に到着しましたが、何故かこの便は外国人旅行者が半分ぐらいを占めていて預けた荷物を待っているのは外人ばかりで日本人客は1人もいませんでした。
久しぶりの新千歳空港は三連休前の金曜日ということもあってか大勢の人であふれていましたが、又北海道へ来られたというわくわく感があって見る物全て懐かしく感じました。
空港からは快速エアポートライナーで札幌駅へ。
車窓には雪に覆われた森や畑、家や道路が続き、時折見せる青空が真っ白な世界をより美しく見せてくれました。
札幌駅で地下鉄南北線に乗り換えすすきの駅で下車、歩いて3分東急インの裏手にあるルートインにチェックイン、予定通り札幌まで来られた金曜日でした。


2013年2月28日木曜日

志賀高原スキー3日目

今日はもう志賀高原スキー3日目です。
一番滑りは逃し3番目になってしまった朝ですが、真っ青な空、冷え込んだ空気とキュツキュツと鳴る雪は素晴らしい3日目のスタートになりました。
今日は奥志賀に絞ろうということで、焼額の第一高速クワッド、第二ゴンドラそして第一ゴンドラと滑っては乗り、滑っては乗ついで奥志賀へと入りました。
宮様ゲレンデの上部にある第二エキスパートコースでは最大斜度30度の壁があり、コブも出来てないので快適に滑れますが、今日は奥志賀ゴンドラに集中してダウンヒルコースだけを滑りました。何回乗ったでしょうか、シニア料金の3日間リフト券では申し訳ないほど貸切状態の今日のダウンヒルコースでした。
全長2200m、最大斜度28度、平均斜度19度は5分で滑り下りられるスピードを楽しめる気持ちのいいコースでした。
まだまだ滑っていたい今日のダウンヒルコースでしたが、12時奥志賀に別れを告げて、焼額を経由して一の瀬ファミリーへと戻りました。途中標高1980mの地点に浅間山や妙高山、遠く北アルプス連峰が望めるビューポイントがあって、今シーズン最後の志賀高原スキーを名残惜しみました。

2013年2月27日水曜日

一番滑り

一の瀬ファミリーの高速クワッドが動き出す8時半、ゲートのお兄ちゃんが 「一番です!」 と声をかけてくれました。
まだ朝暗い4時頃から雪上モンスターの様な大型機械がライトを点けて何台も志賀高原の各コースをグルーミングしている様子は部屋の窓から良く見えます。
きれいにグルーミングされた細い筋のついたゲレンデの一番滑りは爽快です。ビールなら一番搾り? スキーの一番滑りは、自分の滑った跡がきれいに残ります。下まで滑って自己満足気に見上げるシュプールはスキー雑誌を見ている気分??です。
2日目午前中は焼額と奥志賀高原を滑りました。
奥志賀高原はいまだにスノーボードは禁止されてので、安心して飛ばせます。スノーボーダーなしにスキー場経営は出来ない現実はあるものの、リズムの違うスノーボードはうれしくありません。2000年1月15日にwifeと行った川場スキー場で、ターンに入ったその瞬間スノーボーダーがぶつかってきて、しばらく息が出来なかったほどの衝突をした経験があり、それ以来スノーボーダーの存在には常に気を付けています。
それにしても、あのコースの真ん中にアザラシのように群れて座り込むのだけはやめて欲しいものです。
午後は奥志賀のゴンドラ駅から高天ヶ原へ無料のシャトルバスで移動しました。
高天ヶ原も西舘も気温が上がってきたせいか雪が悪くなり、時々前のめりになるほど滑らず、午後は早めに上がりホテルへ戻りました。
今年もホテルにはニュージーランドやオーストラリアなど夏の国からのスキーヤーも大勢来ていて、お風呂や夕食のブッフェも賑やかでした。
洋室は3部屋しか無いというこのホテルでどうしてるのかフロントの人に聞いたら、皆さんと同じサイズの布団で寝てますよ、だって。あんなに背が高いのにどうやって寝るのか今度本人達に聞いてみたいものです。