友人S氏が所属していた東京都スキー連盟傘下の「ときスキークラブ」という発足間もないクラブが主催する福島の高湯スキー場でのスキースクールに参加したのがスキーを始めたきっかけでした。
月山でのスキー |
5月の連休、当時リフトもない月山へ登っての山スキーも、6月に谷川岳マチガ沢の雪渓でのスキーも、若かったから出来たようなスキーも随分経験しました。
V社の仲間と蔵王で |
アメリカでは、当時駐在していた人達とバーモント州とカナダの国境沿いにあったKillingtonまで行って極寒のスキーもしました。
wifeと滑ったスキーも数多く、新婚旅行で行った北海道ニセコでのスキーも忘れられない思い出です。
スキー宅急便が無かったあの頃、スキーを倶知安の駅留めで送ってのスキーでした。
冬は何時も真黒な顔で上司からは「又スキー休暇か!」と叱られながらも冬に全ての有給休暇を取得していた時期もありました。 これも若かった頃の貴重な思い出です。
転倒の記憶も数知れず、急斜面を10数メートル転げ落ちた事は何度もありますが、幸いケガは一度も無かったのに、その分最後大ケガでの引退となりました。
仲人をしてくれた今は亡きクラブの指導員はじめ、何時もいいスキー先輩や仲間に恵まれたスキーをしてきましたが、自分にとっては単なるスポーツを超えた人生と重なる部分もあるような気もします。
スキー引退宣言したからか、感傷的な思い出になってますが、あの白銀の世界と共にあるスキーの思い出は、これからも元気の元になってくれる事でしょう。