2015年4月6日月曜日

チューリップ

チューリップもきれいです。

今日は少し散り始めていますが家の前ではまだサクラが満開のこの時期庭ではチューリップも見頃を迎えています。

チューリップと言えば、立川の国営昭和記念公園で見たのが6年前の2009年でした。

その美しさに感激したのを覚えていますが、先ほどHPで見たらさらに美しさは進化しているようです。

 今年は、明後日からハウステンボスのチューリップを見に行く予定ですが、経営がHISになってから様変わりしているようで「花の王国」が楽しみです。

2015年4月2日木曜日

満開です。

今年は早くも満開になりました。

ニュースを見ていると首都圏はどこも満開になっているようです。

家の前の公園も満開となっていて、気温も上がり風も無くて青空とサクラがつくる風景は春そのものでなんとも素敵です。

庭ではリキュウバイも真っ白な花を咲かせ始めているし、チューリップもあちこちで咲き、今年も庭がきれいな季節がやってきたのです。

なのに....まだ骨折が治らず冴えない自分です。

おまけにwifeも自分もカゼで今日は二人して近くのクリニックに行って薬をもらってきたような次第です。 近頃はカゼを引くとなかなか直らないのは自分達ばかりではないようですが、せめてこんないい時期にはひきたくないものです。


2015年3月29日日曜日

開花です

家の前のサクラは去年と同じ今日3月29日に開花しました。

昨日はまだ開いている花を見つけることは出来ませんでしたが、今日はかなり開いていました。

これから2分咲き、5分咲き、8分咲きそして満開へと毎日変わるその美しさを眺められるのは素晴らしいことです。

サクラの名所のみならず、町から村まで日本全国今も増え続けているサクラですが、燃料用に伐採された悲惨な時代を乗り越えて良くここまでになったものです。

サクラ前線という言葉(造語)がありますが、南から北へとサクラの開花予想を表した情緒溢れる言葉です。
でも、近年温暖化の影響でしょうか、徐々に北上するというよりも同時期に九州から関東までワアーと開花しているような気もします。

時期の変化はともかく、今年も桜吹雪になるまで、しばしの間サクラと共に毎日を過ごせる一番いい時期が始まるのです。

2015年3月27日金曜日

サンハトヤの海底温泉

孫の発熱で急遽1泊だけで帰ってきました。

TVのCMが余程気になっていたらしい伊東温泉のホテルサンハトヤの海底温泉を目的に、昨日春休みになった孫と4人でVOXYで伊東温泉まで出かけたのです。
Googleの画像から

前日夜から少しカゼ気味になったようですが、本人元気だし大丈夫ということで東京から伊東温泉まで来たのですが....

♪伊東に行くならハトヤに決めた!♪♪ しばらく口ずさんでいたようで、海底温泉の様子にも興味があって大分前から行くことになっていました。

海底温泉は海底1000mから自噴する温泉だそうですが、温泉に大きな水槽がくっついているような造りになっていました。

真鯛、シマアジ、クロダイ等沢山のお魚が泳ぎ、大ウミガメもガラス一枚でお腹の甲羅に手で触れるように見える子供達には興味尽きない温泉です。

海底温泉も気に入り、部屋からは相模湾が眺められるこのサンハトヤにもう一泊の予定でしたが、今朝は熱が出て元気なく急遽一泊はキャンセルして、東京でかかりつけの小児科へ直行となりました。

幸いインフルエンザではないようで2,3日すれば回復するとは思いますが、出かける前日ママの言う事もきかずに半袖一枚で遊んでいた結果のカゼひきで、この年齢の子供を無事に育て上げるのは何時の時代も大変なようです。

2015年3月23日月曜日

サクラ

去年は3月29日に開花が確認出来た前の公園のサクラでした。

このところ続く暖かさで、開花宣言が出されたところも多く、ここの公園のサクラはどうかな?と見てみました。

今にも開きそうな蕾も増えていて、今年はあと2,3日で咲いてくれそうな状態です。

ここへ住み始めた2002年当時はまだ小さかったサクラの木ですが、あれから13年今では大きな木に成長し、部屋から見るとリビング一杯に拡がっています。

そしてこの時期、何時も通るご近所の方々の犬の散歩だけでなく、コースを変更してやってくる人も多くなります。

枯れたヒマラヤスギが撤去され、この公園に5本あるソメイヨシノが伸び伸びと枝を拡げた今年は例年にも増してサクラをきれいに愛でられる年になりそうです。

2015年3月21日土曜日

お彼岸

今月はお彼岸の墓参りもパスさせてもらいました。

足の骨折ではないので、歩くことも出来ますが、出来ればまだ大人しくしていた方がいいと思いwifeの方の墓参りもパスしています。

春のお彼岸の墓参りは、亡き母の誕生日が3月25日なのでなんとなく日にちも近く命日ではないものの、気持ち的にはよりお墓参りの意義がありそうに思われるのです。

出来ればお彼岸の墓参りは行っても良かったのですが、この骨折で一気にガタが来たように感じ少し元気喪失感のある日々を過ごしています。

まあ骨折が完治して、いろいろ動けるようになればサクラの開花と共に元気も盛り返してくると思っています。

2015年3月19日木曜日

肋骨はまだくっついてません

肋骨はまだくっついてません。

志賀高原での転倒骨折から3週間目になる今日19日(木)、佐倉整形外科病院へ初めて一人で運転して行ってきました。

毎回、整形外科にお世話になる人達がこんなにもいることに驚かされます。
自分を含め高齢者はもちろん若い人達も来ています。

待つこと90分、胸のレントゲン画像を見せられましたが、確かに折れた部分がまだはっきりと分かる画像でした。

若ければくっつくのかも知れませんが、やはり3週間では無理なのでしょう。

肋骨が折れていると思うと、自然と行動も制約されて何の家事もせずおとなしくしている生活が続きますが、だんだん春めいて来ると動けないのは辛くもなってきます。

4月にはリハビリ兼ねたストレッチが出来るようになっていることを心待ちにしています。

2015年3月17日火曜日

世界女子カーリング

じっとTVでスポーツ観戦の毎日です。

骨折もまだ治らないのに、ここ一週間は、右足の坐骨神経痛がひどかったため、痛み止めを服薬しながら、ただひたすらおとなしくせざるを得ない毎日でした。

今日は、ようやく神経痛の痛みも無くなり、春本番を感じさせる素晴らしい陽気でしたが、引き続き部屋でテニスとカーリングのTV観戦をしていました。

今、テニスは錦織圭が出場しているATPマスターズ1000がカリフォルニアで行われていて、グランドスラムに次ぐ大きな大会なのでNHKもBSで毎日放送してくれています。

この観戦も楽しみですが、今札幌で開催されている世界女子カーリングが、これも毎日NHKのBSで放送されています。

今までは集中して観戦することも無かったのですが、以前からカーリングに興味を持って何時も観戦しているwifeにルールを教えてもらい見始めたらこれが殊の外面白いのです。

氷上のチェスと言うそうですが、ストーンを投げる技術もさることながら先を読んでの駆け引きが
見せ場をつくってくれます。

日本は先ほど終わったロシアとの試合に負けて4勝3敗となり4か国で行われる決勝リーグに残れるかどうか微妙な成績になってきました。

まだしばらく、静かにしてなければならないのでTVスポーツ観戦が続きそうな毎日です。


2015年3月13日金曜日

ニンニク

寒さを乗り切りニンニクは順調に大きくなっています。

茎もしっかりしてきて、そろそろ茎の下に大きなニンニクが育っているような錯覚をするぐらいです。

収穫はまだまだ先のことですが、写真のようなのが収穫出来たら素晴らしいでしょうね。
ニンニクの育て方によれば、5月には花蕾づみをしなくてはならないようですが忘れずにやるようにしたいと思っています。

青森産に負けない立派なニンニクが出来る日を楽しみにしています。

2015年3月12日木曜日

クリスマスローズ満開

クリスマスローズが満開です

秋に北側の遮光ネットの下から南側へ移動してきた鉢植えのクリスマスローズは、今どの鉢も競い合うように見事に花を咲かせています。

同じ種類もあるのでしょうが、wifeによれば、それぞれ花の名前が違うようで、ある花はダブルだったりセミダブルだったり、シングルだったり、又それぞれに微妙な違いもあるようです。

毎年1,2鉢は新種が仲間入りをしていて増え続けています。

違いは分かりませんが、うつむき加減のこの花は今の時期とても貴重です。


地植えのは夏の日差しで葉が傷み、この冬は成績があまり良くありません。

この先、今まで通りの面倒を見るのは大変なことだと認識し始めているので、少しづつ減るのかも知れませんが、自分に出来る事で少しでも応援しようと思っているクリススマスローズです。




2015年3月11日水曜日

骨折その後

玄関には義姉がくれたサンダーソニアが飾られて春がもうそこまで来ていることを感じさせてくれています。

顔の腫れが引き、かさぶたもとれてようやく普通の顔に戻ってきましたが、春目の前のこの時期ですが毎日家の中でおとなしく骨折療養しています。
胸部分はソフトコルセットで巻いてるので多少の圧迫感はありますが、痛みも減って椅子からの立ち上がりやベッドでの寝起きも随分楽になってきました。

骨折の経験は、2004年6月に植木仕事中の転倒で右足首の骨折以来2度目ですが、前回は松葉づえ無しには歩行出来なかったので大変不便な生活を強いられました。
でも今回はそのような不便さはないので助かります。

造園科のスキー仲間からは、引退を思いとどまって欲しいと再三メールが来てましたが、覚悟が変わらないことをようやく分かってくれたようです。

明日で骨折から丁度2週間になります。
骨がまだくっついたとは思いませんが、来週整形外科で再診があるので少なくとも「順調な経過です」とコメントが欲しいところです。

2015年3月10日火曜日

スキーの思い出

スキー引退を決めたばかりだからか、過去のスキーの思い出が走馬燈のように頭の中を巡っています。

友人S氏が所属していた東京都スキー連盟傘下の「ときスキークラブ」という発足間もないクラブが主催する福島の高湯スキー場でのスキースクールに参加したのがスキーを始めたきっかけでした。

月山でのスキー
その後直ぐこのクラブに入れてもらい、ほとんど毎週ぐらいにこのクラブが活動場所にしていた上越の石打後楽園というスキー場(今の舞子スノーリゾート)に行ってクラブの指導員や上級者から教えてもらっていました。

5月の連休、当時リフトもない月山へ登っての山スキーも、6月に谷川岳マチガ沢の雪渓でのスキーも、若かったから出来たようなスキーも随分経験しました。

V社の仲間と蔵王で
蔵王でのバッチテストで憧れの白いバッチをもらえたこと、クラブ主催のスキースクールで初心者クラスの先生をしたこと.....等 限りない思い出があとからあとから湧き出てきます。

アメリカでは、当時駐在していた人達とバーモント州とカナダの国境沿いにあったKillingtonまで行って極寒のスキーもしました。

wifeと滑ったスキーも数多く、新婚旅行で行った北海道ニセコでのスキーも忘れられない思い出です。
スキー宅急便が無かったあの頃、スキーを倶知安の駅留めで送ってのスキーでした。

冬は何時も真黒な顔で上司からは「又スキー休暇か!」と叱られながらも冬に全ての有給休暇を取得していた時期もありました。 これも若かった頃の貴重な思い出です。

転倒の記憶も数知れず、急斜面を10数メートル転げ落ちた事は何度もありますが、幸いケガは一度も無かったのに、その分最後大ケガでの引退となりました。

仲人をしてくれた今は亡きクラブの指導員はじめ、何時もいいスキー先輩や仲間に恵まれたスキーをしてきましたが、自分にとっては単なるスポーツを超えた人生と重なる部分もあるような気もします。

スキー引退宣言したからか、感傷的な思い出になってますが、あの白銀の世界と共にあるスキーの思い出は、これからも元気の元になってくれる事でしょう。

2015年3月6日金曜日

脳異常なしでした

脳に障害の形跡はありませんでした。

wifeに運転してもらって、紹介された日本医大千葉北総病院の脳神経外科へ行って来ました。
医師曰く、「転倒した時のショックで転倒前後の記憶が消えたのです」。

これは佐倉整形外科病院の医師も言ったことで、自分としては、あんな緩斜面であんな激しい転倒はしないと思うので、いまいち納得出来ないのですが 「そうなんだ」 と思うことにしました。

今まで通りの生活をしてまったく問題ないという事で、 MRIの画像を見せられながら説明を受けました。

付録として、脳の状態が年齢よりもはるかに若々しいと褒められて、単純ですから、ついうれしくなって気分良く帰って来ました。

あとは肋骨がくっつくのをひたすら待つしかありませんが、かさぶたも徐々にとれて顔の腫れも引いてきたし、胸の痛みが少し残ってはいますがあと一か月半の我慢でしょう。

でもスキー引退の決意は変わりません。

2015年3月1日日曜日

スキー引退

2015年3月1日、長年楽しんできたスキーですが引退することにしました。

仲間はまだ一緒に滑ろうと言うかも知れませんが、もし同じような事故が再発したら次回はこの程度では済まないかも知れず、神様が引退を薦めたと受け止めることにしました。

今週金曜日に紹介状を持って成田赤十字病院の脳神経外科で脳の精密検査を予定してますが、脳は90%異常なしの結果になるだろうとは思います。(もしかして認知機能の異常が発見されたりしたらそれも問題ですが)

どんな状態で起こった意識障害なのか、どんな原因だったのかがある程度分かるとも思えず、まして、これから再発しない方法などが示されるとは考えにくく、やはりこの先スキーをするには大いに不安が残ります。

スキーをやめたら残りの人生何の楽しみも残ってない訳でもないし、遅かれ早かれ出来なくなる時期は直ぐ目の前だし....やはりこれが引退のタイミングだろうと思います。

あの粉雪を舞い上げてターンする爽快感、急斜面をなんとか滑り降りた時の達成感......スキーの醍醐味はいろいろですが、自分なりに十分楽しみました。

若かりし頃、私に初めてスキーの楽しさを教えてくれた友人Sさんに心からの感謝を捧げます。

2015年2月28日土曜日

肋骨3本折れ

肋骨が3本折れていました。

昨日、川越からは自力で運転して帰りましたが、今朝はwifeに運転してもらって、2008年3月に右手中指の腱鞘炎手術をした佐倉整形外科病院まで連れて行ってもらいました。

胸と顔と右手のX線撮影、脳のCTスキャンをしての結果は、肋骨が3本折れた画像を見せられてショックでした。

顔や右手も骨はOK、脳も異常はないとのことですが精密検査をしたければ紹介状を書きますと言うのでお願いし来週成田赤十字病院の脳神経外科へ行く予定です。

肋骨部分が痛いのは激しく打った打撲だとばかり思っていたのが、3本も肋骨が折れている画像を見て急に痛みが増したような気分です。

緩斜面ですから、高速での滑りではないにしても、滑りながら急に意識が無くなってパッタリとスキーの上に倒れたとしか考えられない出来事なのです。

どうしてこんな事が起こったのか脳神経科で納得いく説明が受けられるのか分かりませんが、wifeに言われて記録を見たら、2000年2月12日に以前住んでいたS市のスキー仲間6人で福島のアルツ磐梯へ行った時に、友人の奥さんがやはりゲレンデでパッタリ倒れ意識が無くスノボートで救護室まで降ろし、救急車で会津若松の病院へ運んで検査してもらったことがありました。

その時も検査結果は異常なしでした。 たまたまゲレンデで立ち止まっていた時だったので自分のように派手なケガはしなかったので夫人はラッキーでした。

昨日からソフトな固定帯で胸部分を固定していますが、骨がくっついて正常に戻るまで一か月はかかるでしょう。

椅子から立ち上がる時、ベッドから起き上がる時、寝返りを打つ時など体に力が掛かる動作はしばらく辛いのが続くでしょうが、命があって家で生活出来るだけでもラッキーと思うことにしています。


2015年2月27日金曜日

早帰りの志賀高原

仲間4人を送り出してロビーで新聞見たり,iPodをWi-Fiで操作してニュースを見たりしながら早帰りするという仲間を待ちました。

初日夜降った雪で昨日も今日もどのコースも良かったそうでまったく残念な今回のスキーです。

11時半頃戻ってきた仲間とランチをして川越へ向かって出発したのは12時半でした。

川越まで仲間がVOXYを運転してくれたので助手席でゆっくりと休みながらの帰路でしたが、予定の1/3しか滑らなかったので心地よい疲労感もなく、胸の痛みがあるだけのなんとも情けない志賀高原スキーの帰りでした。

2015年2月26日木曜日

意識不明転倒

何が起こったのかまったく意識がないままホテルへ戻っていました。

朝一番は、一の瀬ファミリーで足慣らしを一本滑るのが何時も我々のスタートになっています。

高速クワッドで上へ、上部の斜度がそこそこある急な斜面を滑り、緩斜面まで来たところで、スキースクール生が6,7人並んでレッスンを受けているのを見て離れたところを滑って来たところまでは記憶がしっかりしています。

その後何んとなく記憶がうっすらとあるのは、ゲレンデ下にある救護所の中で顔の血をガーゼで拭いてもらったことです。
なんで自分が救護所にいるのかまった認識出来ないままでした。

救護所を出て少し雪の上を歩いたのでしょう、ホテルのスキーロッカーにスキーを入れブーツを脱いだ頃からはようやく意識がしっかりしてきて、フロントへ行ってルームキーを貰って部屋へ戻りました。
サングラスはレンズが外れていてスキーウェアーのポケットに入っていました。

鏡を見ると、なんとも激しく真っ赤になって腫れているのは左目の周囲、目はほとんど見えないくらい腫れています。
右の耳、右の頬、右あごの下も出血して腫れています、まるでお化けのような顔面です。
そして痛いのは左胸の肋骨、右手の親指....

普通滑っていて転ぶ時は分かりますが、今回転びそうになった記憶も、転んだ記憶もまったくないのです。
それにこれだけ激しく顔面や胸を打ってるのに痛みの記憶もなく....、緩斜面でこんなひどい転び方をする初心者でもないし、滑走しながら突然意識不明になって転倒したとしか考えられない出来事が起こっていたのです。

後で仲間の一人に聞くと、突然倒れて動かなかったので声をかけたが返事もなかったそうです。
抱きかかえて起し、スキーそろえて履かせボーゲンで救護所まで連れて行ってくれたようです。
サングラスのレンズが雪の上にあったのでポケットに入れて....など。

当時の事を説明してくれましたが全てがまったく記憶にありません。

朝一番の滑りだったので、一日中部屋で痛い胸をさすりながらTV見て待っていた2日目の志賀高原でした。

2015年2月25日水曜日

今年も志賀高原

今年も志賀高原へやって来れました。

川越ICから4kmのF氏宅へ集合、関越自動車道を5人乗せたVOXYは快調に走り始めたのも束の間、花園IC手前で発生した事故情報が入ってきた直ぐノロノロになってしまいました。

1時間ほどした頃、3車線の真ん中に横倒しになっている1boxカーを過ぎるとようやく事故渋滞を抜け出せました。

志賀高原一の瀬ファミリーの高速クワッドに乗れたのは12時、ようやく志賀高原でのスキーが始まりました。
滑り始めて直ぐ分ったのは気温が高く春スキーのような状態だということです。

焼額の第一ゴンドラを降りた山頂2000mでも+2度の高温!! 粉雪どころか春のザラメ雪に近い状態でいたるところ雪だまりが出来ていて快適には程遠いゲレンデが広がっていました。
それでも奥志賀高原へ移動すると上部はまあまあの状態でダウンヒルコースも楽しめました。


奥志賀から一の瀬へ戻る途中北アルプス方向に雲海が出来ていました。
大勢のスキーヤーが足を止めて見とれていましたが、何回も志賀高原に来ていますが初めての雲海でした。

ホテルへ戻ると浴室は中国人でいっぱいです。これも初めての事、そして食堂は中國人やオーストラリア人など6割が外国人、日本人のグループ名が置かれているテーブルは少なく外国に来ている?ような気分の夕食でした。

一年振りの志賀高原スキーを楽しんだ初日でしたが、翌日まさかこんな出来事が待っているなんて思いもせずに眠りについたのです。

2015年2月23日月曜日

花屋さん

突然のぽかぽか陽気、春は花屋さんの店先からもやってきますね。

寒いとどうしても閉じこもりがちですが、今日はランチに二人で外出がてら昨年新装なったジョイフル本田のガーデンセンターへ行ってみました。

今は冬でもいろいろ花がありますが、やはり春近しとなれば並ぶ花の種類も増えるし、何と言っても彩りが鮮やかになってきます。

花に蝶や蜂が飛び交うように、暖かくなると人間もまずガーデンセンターにやって来るのか店も賑わっていました。

このまま暖かくなっては明後日から予定している志賀高原スキーが困りますが、一時とは言え気持ちも和らぐ春近しの一日でした。

2015年2月21日土曜日

7か月ぶりの麻雀

一度はやってみたい大三元
実に7か月ぶりの麻雀でした。

昨日今日の2日間S市の友人夫妻が我が家へ来てくれました。

去年7月御殿場でやって以来ですが、なにしろご主人が昨年9月から先月まで手術とリハビリ含め4か月も入院されたことで想定外の麻雀ブランクが出来たのです。

真夏でも週4日もテニスをするなど鉄人のようなご主人ですが、流石まだテニスは医師から一年は駄目と言われてるそうです。でも麻雀はまったく問題ないと、元気な回復ぶりを発揮して2日間頑張って行きました。

2日間やって今回は珍しく自分が一位で終わりましたが、一度はやってみたいと思っている大三元含め役マンはかすりもしな結果でした。

4人で食事をしたり、いろいろ話をしたりしながら楽しんだ7か月ぶりの麻雀でした。





2015年2月14日土曜日

寒いテニス

寒いテニスでした。

風がかなり吹いてるのを見て、wifeは今日は行かないというので一人で10時に出かけました。

今週は、建国記念日の11日(水)にかなりハードな試合をやってきたので休んでも良かったのですが、weathernewsの風はだんだん弱まるという予報を信じて行ったのに....

コートには7名、私が行ってちょうど2面試合が出来る状態でした。
一試合毎に北西の風が強くなり、トスしたボールも流れるし、打ったボールも風に押し戻されるし、動いていても一向に体は暖かくならないし、途中帰りたくても1名減れば1試合しか出来なくなると思うと帰るのも申し訳なく12時まで頑張ってしまいました。

空は青く晴れていて風さえなければいい日だったはずですが、なんとも寒いテニスでした。

2015年2月10日火曜日

福寿草が花開きました。

今朝は寒かったです!

8時、玄関前の温度計は-2度でした。

それでも昼間は風も無く暖かくなって、庭では枯葉の間に福寿草が一つ花を開きました。

クリスマスローズもどんどん花が開いています。

昨年秋、大きくなった5本株立ちのヒメシャラを2本切ったので、切り株を花台にしました。

一際目立つ花台の上のクリスマスローズも今きれいです。

あと3週間すれば桃の節句、春はもうそこまで来ています。
もうしばらくの辛抱です。

2015年2月7日土曜日

野球場のモグラ

これはモグラです。

テニスコート隣の野球場の異様な光景にテニスをする前にカメラを向けてしまいました。
テニスコートの周囲でもモグラの土は良く見かけますが、今日ほどの土は見たことがありません。
何匹のモグラが掘ったのか分かりませんが驚きました。

テニスの方は....
カゼ気味が長引いたり、旅行に行ったりでなかなか出来なかったですが今日ようやく出来ました。

予報では晴れるはずだったのに、青空はほとんど出ることなく寒さもきつい午前のテニスになりました。

我々二人が行って総勢11名、久しぶりのテニスはあまり調子は良くありませんでしたが、それでも1時近くまで頑張ってきました。

2015年2月4日水曜日

ガーラ湯沢スキー場

昨日泊まった「越後湯沢温泉さくら亭」は、源泉かけ流しの露天風呂もあってスキーで疲れた体にはいい宿でした。

今日は、ホテルから近くのガーラ湯沢スキー場へやってきました。

流石、新幹線とつながっているだけあって平日にも関わらずかなりの人が滑っています。

驚いたのは、ここにも中国の波が押し寄せていたことです。
スキー場の滑走上の注意などを放送するスピーカーからは中国語も流れていました。

昨夜のホテルでも、上海から来たという小学生2名を含む6名のファミリーがいたし、ゲレンデでもスキーのレッスンを受けている中國人がいるなど、96年、98年に来たことのあるあの当時のガーラ湯沢とは様変わりしていました。

今日は快晴で気分よく滑れましたが、滑走距離がもう少し長いといいなと思えるゲレンデでした。

種子島・屋久島の旅から帰って直ぐのスキーだったからか、体力の衰えからか、昨日今日疲れを感じる初すべりのスキーでした。

2015年2月3日火曜日

かぐら・みつまた・田代スキー場

今年初めてのスキーに上越のかぐら・みつまた・田代スキー場へとやってきました。

造園科仲間の友人、一昨年2度志賀高原へ行ったことがある川越IC近くに住む人と二人でのスキーです。

チェーン規制で谷川PAに誘導されタイヤのチェックを受けて又本線へ戻るなどしながら湯沢ICで降りました。

このスキー場は昔95年、96年、98年と3回来たことがありますが、スケールが大きくエリアの広さはちょっと日本離れしたスキー場です。

今日は雪が少し降っていて気温は低く-7度、リフトに乗っていても寒さで手が凍えるようでした。
コースも閉鎖や圧雪してないところが多く、あまりいいコンディションのスキーではありませんでした。

一緒に行った人が、コースを外れて深い新雪に突っ込んでどうにも出られなくなったり、リフトからストックを落して、落したところがコース外で、しかも非圧雪の急斜面を行かないと拾えないところだったりのハプニングもあったりで二人ともかなり疲れた初スキーになりました。

雪崩でなくても、深い雪に突っ込むと、体を起こすにも、スキーを外すにも、スキーを履くにも、支えがないのでどうにもやっかいなのです。

そんな楽しむには少々難儀な初日のスキーでした。

2015年2月1日日曜日

屋久島で見たH-2Aロケット打ち上げ

今朝は、先ずホテルから近い千寿(せんぴろ)の滝へ。

昨日西部林道へ入る手前で行った大川の滝は日本の滝100選に選ばれていますが、ここ千寿の滝はV字型の峡谷へ落下する壮大な景観で、100選にはこちらを推薦したいと思える滝です。

近くには寄れず遠目に見るしかありませんが、見応えのある滝の景色です。

そして10時21分、屋久島からH-2Aロケット打ち上げが見えまし
屋久島からH-2A(Google画像)
た。
今日の予定ヤクスギランドへ上る途中種子島の島影が良く見える場所で島の人達6人程と一緒に10時21分からの打ち上げを待ちました。

10時21分きっかりに打ち上がったH-2Aロケットは機体は見えませんが、炎が青い空へ上がって行くのがはっきりと見え、皆で拍手です。

種子島宇宙センターまでの距離は27kmだそうで、自分のデジカメでは撮影出来ませんでしたが、Googleの画像に今日見えたのとまさに同じ光景の写真がありました。

打ち上げの爆音はかすかに小さく聞こえましたが、種子島で見ていれば凄い爆音と炎と煙が目の前に広がり感動の一瞬を味わえたことと思います。


打ち上げを見て、標高1000〜1300mに広がるヤクスギランドへ。

面積270haの広大な森で、数多くのヤクスギが鑑賞出来る4つのコースがあります。
木道や吊り橋も良く整備されているので、白谷雲水峡のような厳しさはありません。

推定樹齢1800年の仏陀杉を見て戻って来ましたが、1000年ぐらいの杉が沢山あるのはヤクスギランドの名の通りですが、ヒメシャラの大木が多いのにも驚きます。

屋久島は一か月に35日雨が降ると言われるほど雨が多い島ですが、幸い昨日今日は雨もなく晴れていてラッキーでした。
でも寒さは先週から続いていて、ヤクスギランドを訪れている人は無く、この広い密林のようなヤクスギランドは貸し切り鑑賞でした。

ヤクスギランドからさらに車で奥へ行ける山道があって、推定樹齢3000年の紀元杉を見に行く予定でしたが、路面凍結の為通行止めになっていました。
係りの人に本当にダメか確認したら、あまりに行きたそうに見えたのでしょう車で確認に行ってくれましたがやはり駄目でした。

ヤクスギランドから町へ降りる途中屋久杉自然館へ寄りました。

1924年屋久杉を切り出す為に500人もの人達が暮らしていた山奥の小杉谷には小・中学校もあり、搬出の為の森林軌道が生活にも使われていたことなど、当時の生活をビデオで見る事が出来ました。

又、平成17年に雪の重みで折れた縄文杉の枝が「いのちの枝」と名づけられて展示されていますが、一本の枝がすでに1000年の大木です。
この展示を囲むように床に縄文杉の根本と同じ形が記されていましたがその太さに圧倒されます。

この床の印を見ると、縄文杉を見に往復10時間山道を歩く体力が無いのが残念に思えます。

屋久島は、島の周囲126.7km、車で周ると3時間余で一周出来る小さな島ですが、いい温泉もあり、大古のような自然を感じられるとても魅力的な島です。

空港前でガソリンを満タンにしてオリックスレンタカーに返却し、17時20分のJACで鹿児島へ、さらに成田へジェットスターで帰った2つの島の旅でした。