2012年2月23日木曜日
2012年2月21日火曜日
志賀高原スキー 3日目
2012年2月20日月曜日
志賀高原スキー 2日目
2日目の今日も真っ青な空と無風の志賀高原が待っていてくれました。先週土曜日まではかなり雪が降っていたわけですから何ともラッキーです。朝8時半ホテルのスキー場出口でスキーをつけてそのままリフト乗り場へ滑り込みます。一の瀬ファミリースキー場にあるこのホテルはその絶好のロケーションが魅力ですが、シニアプランもあって安いし、すっかり我々馴染みのホテルになっています。
早朝きれいに整備された斜面に、自分のシュプールを描きながら雪煙をたて風を切って滑る朝一番はなんとも爽快です。午前中はすっかり仲間のお気に入りになった焼額山のオリンピックコースを中心に滑り、午後は高天ケ原マンモススキー場を滑ってから西舘山スキー場へ移動、何本か滑って高天ヶ原へ戻って滑った一日でした。
仲間のレベルに合わせて、それぞれにアドバイスもしながらのスキーですが、だんだん上手くなってくれるのを見るのも楽しみです。
2012年2月19日日曜日
志賀高原スキー 1日目
ガンの手術で1年ブランクが出来ましたが、ようやく志賀高原スキーが実現しました。今年の志賀高原は雪が豊富なのと気温が低いので雪質はキュキュ鳴くほどの最高の雪でした。
天気も予報がいい方にはずれ真っ青な空に風もなくこれ以上のスキー日和はないと言える絶好のコンディションに恵まれてのスキーは素晴らしいの一言でした。
初日の今日は、早お昼を済ませ12時半スタート、一の瀬ファミリーを滑ってから一の瀬ダイヤモンドを経由して焼額山へ移動、第二ゴンドラで2000mの山頂へ行ってジャイアントスラロームコースや長野オリンピックで女子回転が行われたオリンピックコースを滑り、奥志賀高原を滑って4時半にはホテルへ戻りました。
19のスキー場の好きなところで滑れる志賀高原は日本の第一級のスキーリゾートですが、増えてるのはシニアと外国人、長引く不況の影響でしょうか30代~50代ぐらいの中間年代の姿があまり見られません。もともとこの年代はスキーよりもスノーボードが多かったこともあって、今年の志賀高原は7割以上がスキーヤーという状態だったのが印象的でした。
2012年2月17日金曜日
iPod touchでラジオを聴く
昨日は昼間も雪がちらつく寒い日でしたが、夜中に降り出した雪が3cmぐらい積っていて朝カーテンを開けると真っ白な世界が飛び込んできました。相変わらず凍てつくような寒さが続く今週はほとんど家から出ることもなく冬眠状態の毎日です。
そんな毎日ですが、今度iPod touchでもラジオを聴けるようになりました。既にスマートフォンの世界やパソコンではアプリをダウンロードして聴いてる人は多いようですが、iPod touchでも出来るのでは?と思ってアプリを探したらありましたありました無料のアプリがあって早速ダウンロードして聴いてみました。
NHKは「らじる★らじる」という名称でNHK第一と第二それにNHK FMが聴けます。民放は「Radiko.jp」で地域によって受信できる範囲が変わりますが、TBSはじめ文化放送等からFM各局も受信可能でした。ポータブルラジオと違って電波状態による信号の強弱もなく安定していてクリアーな音声はとても聴きやすいものでした。どんどん広がるiPod touchです。
2012年2月16日木曜日
今年のクリスマスローズ
2012年2月13日月曜日
2012年2月12日日曜日
飼いならされたニセコの金魚
先週木曜日にやはり医者へ行っておけば良かったと後悔しました。
医者へ行くのを止めた木曜夜になって咳が出始めて....金曜日は早速近所のクリニックへ。大したことないのは分かるのですが、過去の例からすればこのあと必ず気管支炎に発展してるのです。抗生物質を含む5種類もの薬が処方されたので5日分飲めば大丈夫でしょう。
カゼはそんな調子ですが、昨年ニセコから連れて帰ってきた黒の出目金は元気に小さな金魚鉢を泳いでます。毎日一回wifeが餌を上げる時にスプーンで金魚鉢の淵をカンカンと叩いてから餌を上げてますが、いつの頃からか下の方にいてもこの音だけで水面まで上がってくるようになりました。飼いならされたニセコの金魚は毎日観察してるメジロと共に毎日の癒しになってます。
医者へ行くのを止めた木曜夜になって咳が出始めて....金曜日は早速近所のクリニックへ。大したことないのは分かるのですが、過去の例からすればこのあと必ず気管支炎に発展してるのです。抗生物質を含む5種類もの薬が処方されたので5日分飲めば大丈夫でしょう。
カゼはそんな調子ですが、昨年ニセコから連れて帰ってきた黒の出目金は元気に小さな金魚鉢を泳いでます。毎日一回wifeが餌を上げる時にスプーンで金魚鉢の淵をカンカンと叩いてから餌を上げてますが、いつの頃からか下の方にいてもこの音だけで水面まで上がってくるようになりました。飼いならされたニセコの金魚は毎日観察してるメジロと共に毎日の癒しになってます。
2012年2月9日木曜日
風邪気味
沖縄で毛穴が全開になったのか、日曜日のテニスの疲れが重なってか、今週は月曜日から少し風邪気味で毎日ダラダラと過ごしています。
熱があるわけでもないので体がつらいとかはないのですが、ようするにシャッキリとしません。
仕事が待ってるわけでもないのが余計ダラダラとさせるのでしょう。
今日は近くのクリニックへ行こうかと思ってたのが、行くほどでもないと思い直してパソコンに向かっています。
後ろの窓からはめじろがさかんにミカンをつついてる様子が良く見えます。窓越しとは言え籠まで2mちょっとですから、こちらの顔も見えてるわけで、目と目を合わせても逃げる様子もなくすっかり落ち着いている我が家のめじろです。
熱があるわけでもないので体がつらいとかはないのですが、ようするにシャッキリとしません。
仕事が待ってるわけでもないのが余計ダラダラとさせるのでしょう。
今日は近くのクリニックへ行こうかと思ってたのが、行くほどでもないと思い直してパソコンに向かっています。
後ろの窓からはめじろがさかんにミカンをつついてる様子が良く見えます。窓越しとは言え籠まで2mちょっとですから、こちらの顔も見えてるわけで、目と目を合わせても逃げる様子もなくすっかり落ち着いている我が家のめじろです。
2012年2月3日金曜日
沖縄 ゆいレール
今日はもう帰る日になってしまいました。
マンションで義姉夫婦の見送りを受けてモノレールで那覇空港へやってきました。滞在中何度もこのモノレールにお世話になりましたが、ゆいレールと称するこのモノレールは通勤通学でも活躍してる様子がよくわかりました。那覇空港駅と首里城駅を結ぶこの2両編成のモノレールには15の駅があり、どの駅もホームには扉があって安全な乗り降りが確保されてるし、各駅毎に大きなステンドグラスで沖縄を象徴する絵が飾られています。
島内というか県内唯一の鉄道であるゆいレールは沖縄の発展に大きな役割を果たしているように感じました。
成田からの到着が少し遅れたSKYMARKですが、燃料補給後直ぐに又成田へ向けて飛び立ち帰りは2時間ちょっとで成田空港まで飛んでくれました。こうして5泊6日の沖縄滞在はあっという間に終わってしまいましたが、義姉夫婦の借りたマンションにお世話になれたことで暮らすように旅する感覚で楽しめた沖縄でした。
2012年2月2日木曜日
沖縄 世界遺産の識名園
義姉夫婦が借りたマンション滞在も5日目になってしまいました。
今日は二人で首里城からタクシーで10分ほどの距離にある世界遺産の識名園へ行ってきました。
琉球王家最大の別邸で国王一家の保養と迎賓館としての役割をしていたそうです。回遊式庭園になっていて池には六角堂や橋が渡してあります。別邸の中の調度品は博物館へでも移して管理してるのか
まったくと言っていいほど何も置いてありませんが、多くの客間や居間が配されています。
池を囲む庭も広くガジュマロはじめ沢山の種類の南国の樹木があり、庭園管理目的かどうか分かりませんが「ハブが出るので入らないで下さい」と表示もありました。
時折小雨がパラつく今日は沖縄と言っても少し寒く13,4度でした。早めにマンションへ戻るとおっかけるように糸満の市場へ沖縄の友人と一緒に出掛けていた義姉夫婦も帰ってきました。
天然の海ぶどうや美味しい刺身を沢山仕入れてきて今夜もご馳走が並ぶ夕食のテーブルでした。
2012年2月1日水曜日
沖縄 今帰仁城跡と辺戸岬
今日はレンタカーで沖縄島最北端の辺戸岬(へどみさき)まで行きました。
沖縄自動車道終点の許田ICから国道58号で名護市へ入り有名な美ら海水族館のある今帰仁村(なきじんむら)へ入ると、古宇利島にかかる古宇利大橋があります。エメラルド色の海と橋が織りなす景観は美しく見事です。
今帰仁村には世界遺産に登録されてる今帰仁城跡があります。琉球王国統一以前に城があった跡とのことで石積みの堀跡だけが残ってました。城跡の周囲には寒緋桜が咲いていてちょうど桜まつり開催中でした。海岸に沿って走る国道58号を北上すると沖縄島最北端の辺戸岬に至ります。今年は沖縄が日本に復帰して40周年だそうですが、この最北の地にある碑が復帰の為の苦労を物語っていました。この場所からは約28km北に与那国島の島影が見えます。
今帰仁村には世界遺産に登録されてる今帰仁城跡があります。琉球王国統一以前に城があった跡とのことで石積みの堀跡だけが残ってました。城跡の周囲には寒緋桜が咲いていてちょうど桜まつり開催中でした。海岸に沿って走る国道58号を北上すると沖縄島最北端の辺戸岬に至ります。今年は沖縄が日本に復帰して40周年だそうですが、この最北の地にある碑が復帰の為の苦労を物語っていました。この場所からは約28km北に与那国島の島影が見えます。
沖縄本島北部にしか生息しない国の天然記念物ヤンバルクイナを保護する道路標識が国道58号には見かけられましたが、もちろん遭遇する奇跡は起きませんでした。
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