3月3日(木)13時 北海道ニセコアンヌプリのリフトではなく、、手術衣で目だけ出した看護師や医師に囲まれた2つの大きなライトが照らす手術台の上に横たわっていました。
12月の生体検査入院で前立腺に初期のガンがあることが判明し、2月には毎週400mlの採血をし輸血用に自己血液1200mlが蓄積出来たところで3月3日の前立腺摘除手術になったのです。
全身麻酔は初めての体験でしたが、1、2、3...数える間もなくあとはまったくわかりませんでした。もしかしたら死とはこんな状態なのかも知れません。
手術台で麻酔が切れ目を覚ましたことが確認されたのでしょう、あとは病室で高熱が出る前の歯がガタガタするほどの寒気と全体に苦しい状態がうっすらほんやり記憶にある程度で翌朝を迎えました。
それから1週間目の3月10日、開腹した下腹部を留めていた18個のホッチキスをはずす「抜鋼」があり順調な回復への道を進めました。
ところがその翌日3月11日、病室のある5階のデイルームで丁度来てくれていたwifeとコーピーを飲んでいた時、今回のあの恐怖の東北地方太平洋沖地震が発生しました。
大きな病院の鉄筋コンクリートの建物とは言え、あの揺れはまさに恐怖の体験でした。そしてその地震が東日本大震災と名づけられた広域大災害になろうとはその時はまだわかりませんでした。
毎日の大きな余震は、体からいろいろ管が出ている身には不安の連続でしたが、18日当初の予定通り退院出来た次第です。
計画停電等当面生活上の不便は多少ありますが、1日も早く元の元気を取り戻したいとつくづく思う退院の翌日なのです。